前記沢内遠野線分の中央近辺に阿古野というところがある。

 延暦20年(801)、坂上田村麻呂が夷賊阿古野を滅ぼす。
 嘉祥3年(850)、慈覚大師巡錫時、金峰山般蔵寺を建てる。 阿古野の谷谷に七観音を祀る。 堂塔坊舎で輪かんの美をなす。
 北上市立博物館において最古最大の文化財として、三体の仏像が風朽激しい姿で立っていて、その阿古野の地の古事を証明している。
  本尊薬師如来 (北上市 北上の歴史から)
 安部氏、藤原氏の時代より200年、300年も早い、北上市はおろか東北地方における最古の、王化事跡の一つと言って間違いなかろうと思われる。
 馬の背のような岩の峰が続き、松の緑も清々しい所である。
  こんなに高くはないが、似たような岩山である。 写っているような方角に雲南、水田集落が広がっている。
 「みちのくの阿古野の松」 という平安時代の歌の名所の由来となった歌は、
 みちのくのあこやの松に木隠れて出づべき月の出でやらぬかな
 おぼつかないざいにしへの事問わむあこやの松と物語りして
 みちのくは広き国ぞと聞くものをあこやの松に障る月影
 の夫木和歌集中の三首。
 その後陸奥の守となって下ってきた藤原実方が、みちのくの阿古野は何処と捜し歩き、誰も教えてくれる人がいなかったが、ある老人に、出羽の村山郡の間違いだと言われた、という記事が平家物語に載っている。 ただし、その跡を探し当て確認したとまでは記されていない。 その方角に捜し求めた、ということで終わっている。 村山郡にそれらしき跡がなければ、以上の事から、間違いなく歌の名所、阿古野の松は北上市にあったと確信してもいいと思われる。
 その当時にはすでに、考えられない方角の、草深く埋もれた無名の地となっていたのであろう。
 以上テレビ岩手 「岩手のお寺さん」 からいくつか引用させていただいた。