北上市のその後の歴史の跡を大まかに並べてみたい。

 ・安倍氏が黒沢尻の柵を築き、黒沢尻五郎この柵に拠る。
 ・国見山に、極楽寺の文化活動が発展する。 奥六郡一帯の仏像群のセンターであったと思われる。
  (インターネットの画像を拝借) 岩手県立博物館の玄関に、見上げるばかりにそそり立っていた成島の兜抜毘沙門天。 国見山の東北近隣地に立っていた。 兜抜とは吐蕃チベットのことであるらしい。 (吐蕃王国というのも7世紀頃にに生まれた国であるという。 そのチベット由来の神像が遥々東北方の日本に伝えられ、更にその国土を守るべく東北の位置に祀られているというのは、何のいわく因縁があってのことだろうか。)
  最北の毘沙門天像は、右側の山の向こうの岡の上に祀られている。 
 安倍氏の跡のものと思われる地名が北上川近くにいくつかある。 孫屋敷。 北上川を挟んで真向かいに国見山文化跡の山並が並んでいる。 月見に最適な住所地であったろう。 
  
 古城場。 古陣場橋。 牡丹橋。 黒沢尻五郎こと安倍正任等が牡丹花を愛で、栽培していた所だという。
  左側後方川沿いの、日当たりのいい所に畑があったと推定されている。 白く見えるのはエベレストのような早池峰山
 ・時宗の祖一遍が、国見山極楽寺の一坊に流されていた祖父 (北条政子の妹を妻とする河野通信) の墓を見つけ供養する。 有名な紀行絵巻 「一遍上人絵伝」 に詳細に描かれている情景によって、この墓が発見され、認定されたのだという。
  仙台方面に地平線が展かれている。 近くの山間に一遍上人祖父のお墓が絵そのままに残されていた。
 ・和賀氏が下向する。 また、多田満仲の子孫が目代として北上川東岸の地に赴任している。
 ・江戸時代は藩境、舟運の町。
 ・明治維新後は湯田町の鉱山で、商業と旅館業が大いに潤う。
 ・近年は東芝輸出産業で大発展を遂げたが、この頃の世界経済の不景気で、求人率最低のレベルにある。
  文化的な国見山付近の岩肌。
  猫柳の芽が膨れていた。
   昨日の情景。