大田村の関所寺の先代は朝倉氏の子孫であったが、

当代がその人の実嫡男子であるとは、観相学の無遠慮からは疑わしいことであった。 
 地域の所々で行われていた、赤ちゃん取替え事件がこの寺でも起きていたのであろう。
 「した」 の家の関係者が上げられていたのである。 しかし、この場合は、本来の子孫が元いた所に帰り、座り直した例であった。
 各子孫の方達は何かの伝えを聞いていて、自覚しておられたのかもしれない。 (那珂沢教授がストーンと長刀を腰に収める仕草を取ったというのも、その伝聞をテーマにした挨拶であったのであろう。) 
 さだ正史、という名前がヒントである、と教えていただくことがあった。 (さだがまさしであることを解け。) これによって、上の家の三姉妹の内、二人は三男坊家から、一人は下の家から、という推理が成り立ち、その人の名前が定さんであった。 そしてその定さんの娘婿の名前が偶然であろうか正史なのである。 (Sada ~ Tada)
 江戸時代に、お寺の子孫の方が多くの実子を持ち、世界に派遣させたことがあったと考えるべきであろう。
 「ねし」 グループの人達全員に該当することなのであろう。 アメリカにも少なくない人数がおられるのかもしれない。 テニスの女王のように登場すると、活躍が世界一に長いことがある。 道があまりにも長かったのである。 日本の街道の司馬氏も真実に「した」の家の関係者であったと思われる。 また、国を憂える多くの国会議員の方達もやはり、この「した」の家の長い命脈と薫陶の下にある、ということにもなる国家の実態があった。 
 江戸時代中の生還国土上陸者の例は、本来数少なく、「御三家しかない」 という本人発言が伝えられている。
 その後の日本国中世界中に見られる無数展開というものは、嘘でもなく真実の子孫である可能性が高く、その背景には、この地下組織伝統のチルドレン増殖炉努力というものが潜んでいるのである。
 世の中にチルドレンでない登場者というものはない程に、地下活動はチルドレン活動であり、例えば早くにも明治維新時期の偉人連こそは、もれなくチルドレンの寄せ集めであった可能性があるのである。
 恐らくは御三家共シベリアから大陸に上がった人達の子孫なのかもしれない。 サバイバルの長道なら、アラスカのノームだよ、と教えてくれる担当者側の回想報告があった。 原野だな、というのは、ネルチンスク市周辺の生き残り道を選んだ人の言葉なのか。 滝を飛び降りまっしぐらに里を目指す、という TV 番組がある。 その人の名をお富さんというのか。 (ヨーロッパ王家派遣の、厳しい西洋の至宝資格鑑定に、二回連続して敗れていた、という内幕事情があったと伝えられている。 しかしこれは、英国王家の思惑に反することであった。)
 生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん。 「エーサオー 原野だな。」
 色白の玉緒さんそっくりの人に、運命のように富という名前が付けられることがある。
 上述の定子さんと生まれ変わりのようにそっくりな人と会ったことがある。 ある情報によれば、やはりネルチンスク市近くのチタ市出身の人であるという。 大田村の多田氏の子孫からというのでなくとも、やはり何かの縁があって生き写しなのであろう。
 関係者はアジアでも多い。 ブット元首相もそうなのか。 中国の人もいるし韓国の人もいる。 
 このシベリア道外しの一方角に西域があったようで、その原点からの証拠の歌として、道に迷っているばかりの青春時代の歌が登場しているのである。 中国に関係者の人がいるというのは、その方面からの縁戚関係によるものなのか。
 以上、この場合は、日本の歴史に有名な武将の本当の流れを汲んでいる、日本人先祖の例の話であった。
 また、その関所寺の者と昔の上の家仁左衛門の家の者とは、嘘でもなく竹馬の友の仲であったのである。 (かつて関所寺の多田氏と仁左衛門とは竹馬の友であったとは、あまりにうそ寒い謎掛けであった。)
 茶碗酒で他人の花に情けを掛けてしまったという原点なのかもしれない。 (すると、「お富さん」 は、「下の家」 参上までの長々しい経歴を、短くも語り尽くしている歌ということになろうか。)