父親である人の魂胆というものは、とにかく勤めよう、ということであったと思われる。

 組織に身を預けたみなしごは、死ぬるまで明日に向って勤め続けよう、という気持ちは定かであり、また貫徹実行されている。
 病み上がりの手取りでは、二度と病気にならないよう気を付けるだけで、人並みに学費を出すことなど、鼻から頭に無かったようである。 自分の稼ぎ不足、小ささが身に沁みていたものと想像される。 
 ボーナスも退職金ももらうこともなく、年金生活目前にして亡くなるまで、リヤカートレーラー勤務に投身していた、と真実に言えるようである。