断片のような情報が一つのテーマで括られてくる。

 舞台はすべて南九州の、一連の絶望作戦である。
 離れた地域での、似たような噂事件が伝えられている。
 あるレベルでのその表現は、外国人は人肉を食す、ということに纏められる。
 全国的にもそのような噂が流されようとしていたことがある。 社会主義者ユダヤ外国人の誹謗作戦をそっくり日本に輸入したようなものである。 官憲が関与するところまで通じている。 イギリスでは、切り裂きジャック事件をでっち上げていた、という落ち着いた捜策資料証拠が提出されている。 最後の最後まで作為的工作的で表現的であった。 猟奇的なものの押し付けに共通点がある。
 しかし南九州の場合、社会主義者対策の意味はなかったと思われる。
 江戸時代、日本最初の近代革命の為の礎として仕組まれた、仁義のない争いとも異なる。 はるかに後の世の、記憶のある事件である。
 '過去現在未来に永遠の絶望' 作戦のいくつかを挙げてみたい。 
 明日に人として生きていられないほどの過激な追撃事件ばかりである。
 一つに、指宿山田人非人事件。 人間の条件でないなどと騒ぎ立てられ追撃される。 これだけやられたら、明日に面があるはずがない。 恐らく金を貰った者が一所懸命に地域民を誘っていたのであろう。
 二つ目に、道路イカ焼き墜落事件。 すでに美形となって熊本あたりから呼ばれてきた人達であったようだ。 これでは二条城支援と言っても、不実なことになる内容であったようだ。 国道最強無敵の旗印を、湯田町 107 号線で眼にしたことがあったのかもしれない。
 三つ目に、上記、陶工団人肉食い飢餓疑惑。
 江戸時代以来の流浪の末にか、近くに家出娘のような家なき子少女団が暮らしていたという。 あるいは金を貰ってから近くに移ってきたのかもしれない。
 何を口にしていても、何を咥えていても、すっかり人に見られていると思ってやっていたことなのであった。 わらわ娘の顔撮り現場であったか。 太い映画監督がいるものである。
 明日の絶望のための芝居なのであるから、思い切って、食えないような仕事ばかりをしたものと想像される。 いつの頃の事か。 戦後の仕事なのかもしれない。
 誰の金で誰が仕組んだ事かということは、今の国難時に、盛んに上の家アカ宣伝に口を費やしている、エリート達の背景をまず疑うべきであろう。 (プライバシー攻撃、アカ口たたきなどしている場合か。 アカ組織のおかげにあるばかりの、自分達の身の上こそをどのように考えているのか。)
 以上、根底的には、西洋の古い曰くを持ち込んだものと推理されよう。