戦前戦時中の事として、湯田町あたりでよく高校生という言葉を聞かされることがあった。

 今思えば、後行生などとという意味で組織が創作したものではなく、特攻生という実際に使われた言葉の聞き間違えであったと思われる。
 岩手県に高校ができたのはいつ頃であったろうか。 中学生でさえ珍しい世の中に、高校生がざらに山村にいる時代ではなかった。
 真実は、「特高生が東大に入って国会議長になる為の資金を手伝ってくれ」 といった無心の言葉があっただけなのであろう。
 それを高校生と訳したために、後に頻繁に、いるはずもない高校生が登場することになったものと推理されるのである。
 「ゥガダじゃ、どうにもならね、アハがらオレじゃデキネ者みたいにしてる家だ。」 と思いながらも、ヤクザみたいに腰を屈めての請求姿であったと伝えられている。
 金を借りてまで特高生の進学資金を手伝っていたような、証拠の書類が残っている。 少額のものではなかったようだ。
 返されることもなく、上の家はいつも金がない、と近隣から見られていたようである。
 年がら年中ピーピーだ、というのはこの頃からのことだったのである。