記されている国の名はすべて呪文名である。

 奴であり、馬であり、邪馬である。
 後は狛の国の名が出ている。 狛とは朝鮮半島の形から連想した徒名である。 (月に浮かぶ兎の影にも似ている。 兎道の語源と思われる。)
 魏志倭人伝においては、日本を白雪の国とすることに全反対の立場で、全文章が呪文となっているのである。
 一つ日本は女性でなければならない。 中国を女性とし、日本を男性とする歴史観に触れ、激怒したことがあったのであろう。 それこそ全面真っ赤の怒りにでくわしたものと想像される。 派遣大使で最も有名な人の名が小野妹子であるというのも、あまりに似つかわしいことである。
 日本は世界一女帝の数が多い国である。 中国ではただ一人、則天武后が周の国を立てて、数えきれない皇帝人数のうちに紅一点を添えている。 どのような時に女帝が群立しているか歴史の謎として取り上げてみるべきものがあると思われる。 推理に過ぎない結論の他ないのであるが。 朝鮮半島では女帝はゼロ。 イギリスとロシアに何人かいるばかりで、日本は極めて異例の国なのである。
 一つ日本の王都は辰巳の方角に封じ、隈より出でぬこととして応対する。
 中国は龍であり、日本は隈野地の草陰にいる蛇として日の目を見ない。
 辰巳方角封じの一例として下の写真を示す。
  最初は近江大津に京が置かれた。 写真右方辰巳の方角、今熊野に伏見稲荷。 日本は狐顔にも渾名されていたか。 左方に辰巳の方角を見据えるように秦氏の神社が一列に並ぶ。 辰巳芸者とは、女だてらに羽織を羽織って、男振りを見せることで評判を取っていた深川芸者の呼び名である。
 蘇我氏藤原氏も、一途に辰巳方角の指定位置を順守しようとしているところがあった。
 一つ日本の白雪会を許さない。 必ず辺土に散らすべし。
 新羅シロ、ベトナムカンボジアラオス、特にヒマラヤ不尽の雪近くのチベット。 魏志倭人伝では、誤記一文字もなく、ひたすらに海南島が目差されている。 下に辺土に散らされた、北海道の形まで取り入れた日本の国形の写真を示す。
 
 しかし、以上の、完璧な、日本蛇潰し決心に踏み出た魏志倭人伝努力は成功しなかったのである。
 やがて、都は辰巳の隈野地から中央に出る。 縁起担ぎにあちらこちらを歩き、結局飛鳥の地に落ち着くという古代史王宮行動の不思議が明かされるようである。
 わざわざ敵国韓の遺民を配して、日本封じの要手に打ち出したのが、半島南部での三韓国の配置であった。 秦の韓と耶馬の韓及び切り分けるべき弁韓。 この切り分ける用意の弁の字が、用立ての意味に変じたところに、魏志倭人伝の、徹底蛇潰し呪術、不発の歴史の実態が象徴的に示されているのではなかろうか。
 後に、魏志倭人伝は諦められて、談合的に介入し続ける折り合いの道が拓かれることになった、と考えられようか。
 推古天皇法隆寺斉明天皇近江大津京持統天皇藤原京元明天皇平城京、これも妥協の成立であったろうか。 とにかくこんなに女帝が居並ぶ国の世というものは、世界史に類のない現象であった。