精一はどうしても、真っ直ぐに上の家に向かい挨拶することができなかった。

 精一の訪れは前から知らされていて、先ず鹿児島城下士子孫の者に、口を使えよ、と言葉を贈られて、村の入り口で西の家の者に迎えられたのだという。
 しかし言われたとおりの大口では進みきれなかったようである。 西の家としては、この際相手を呑むぐらいの気持ちでなければどうにもなるまい、という計算であったと思われる。 戦後の主、兄不在の家内、留守を狙ってわざとせんべい布団などを見せ、「最低だ」 等と言って乗り込む勢いまで付けさせようとしたらしい。 しかしやはり入りきれず、裏のカマドの家の方に回って、上の家の様子をうかがっていたという。 公家下の家にも挨拶に行けず、結局加治屋の家に入る。 村衆にとって、これが良くないことであったらしい。 すでに鹿児島来の子孫の家が村外れにあって、その家と親戚になっていた加治屋の家とその家の者には予め精一の経歴が知れていたようで、初めからダメ、いずれダメ、という評定でそろっていたものと想像される。 いろいろあるが、何しろ精一は人を殺め警察に捕まらないでいる逃亡者だというのである。 偶然なのかどうか、その被害者は加治屋本内発子孫の若者であったという。 鑿で人を刺したのも玄関前、今上の家に入るための相談に上がっている加治屋の家も上の家の玄関前。
 しかしとにかく口を利いてもらって、最初は上の家の縁先に置いてもらったという。 精一は時価三千万円の現金を村内に運搬していた。 その金をよその家に全部上げてしまったという話が出る。 それでは、と精一は蹴り出される。
 困ってしまった精一に、映画のヒーロー剣術師そっくりに加治屋の父さんは短剣を渡し、剣術を指南したという。 お前、オドの孫を殺めたという、ここでも玄関先で人を殺めてみろ、ということなのであろうか。
 定子が歩いてくる、そのアノトが聞こえたら飛び掛かれ。 後にその計略に気付いたことも、やがて精一を許すことになるきっかけとなったのかもしれない。
 その後、遂には、諸先輩達に居並んでもらい無理にも上がることになったという、どうしようない終着話であったようである。 エゴなく勤めるなら上がれ、ということで落ち着いた定子精一の仲であったと言われている。
 段々に、難儀難入する手だな、とかという評価が後に加治屋の家からも出ていたそうであるが、これは加治屋系列の一部の子孫の展開の仕方にも通ずることであった。