地下組織世界史は、いわば 「モンタ運動」 を大きな動因としているようである。 お控えなすって、お控えなすって、の長い尻絡げ日本土民史があった。 

日本は文明の順番においてはなかなかのモンタ取り残された僻地の国であった。 国家も巨石建造も金属鉄器も文字も地理的自然の理によって、堂々とモンタグループに属している。 錦もなくその模様を倭文しずと呼ばれ、文字も知らず漫画役人の国と呼ばれる。 演ずれと言われれば、パントマイムのような猿真似しかできない。 これを猿楽という。 三国志上司の故意のからかいというようなものに出くわしてからであろう、倭の国は以後長く訪問を控えている。 
 しかしながら、猿楽モンタの恥さらしとは、縄文時代中お控えなすって、お控えなすって、と言われては手拭いを返し続けてきた、狭衣脛出し寒さ我慢の経歴の後の、ためにためたニューフェイスのお粗末な登場であった か、という長たらしい嫌疑が浮かび上がってくるのである。
 その伝で、岩手も蝦夷湯田町沢内村も長く日本のモンタであった。 
 狭衣もちゃんと、因縁説明不十分にもみちのくの山また山のど真ん中の、飛び地のような奥地に、ゆかしい雅の跡でもあるように記し伝えられている。 今こそ、縄文時代のモンタ控えの意味から、その地理的突拍子と狭衣文化の孤立が読み取れてくるようである。 
 しかし、紀元前500年頃からの仕事であれば、縄文土器の指が冷たい話にまでは遡らない世界史なのかもしれない。
 「この指が知っているよ」 と崇は言ったものであった。 
 (以上の記述には、北上市史、沢内村史、湯田町村史、日本書紀続日本紀関連図書、帝国書院高等地図、歴史DVD、吉川弘文館日本史年表、他数冊に拠って知識を確認させていただくことがあった。)