バッハ、ヘンデル、ハイドン、野の道ヘッベル、ヘーゲル、プフ、プフ、プファイフェ、ヘップバーン、静かなるドン、・・・

 ドイツ語のプフ音というものは極めて独特なものなのではなかろうか。 これを運動の得意分野の国語遣いによるものとしても、300年前から始まった今回の地下組織活動の創作であるとするのは、新し過ぎるように思われる。 素人だから本当の事は分からない。
 「世界の名曲」 の場合、王室の眼差しが農村の四季風景を直接体験した、その時の一言をモチーフとして制作されたという。 しかし言葉はカーブしてから転がり届けられたようである。 水車小屋の小川の流れ、鶏小屋、稲架(はさ)に連なる稲束、そして湯田町独特の軒先の大根干し。 ついでに案内人が山形の山寺の方を偽り紹介したことから発想されたのが、無伴奏曲であったとも推理されている。 当地のモチーフ伴いのないことから無伴奏の形式が、山寺の落差ある風景からテーマの二階建て進行の形式が要請される。 この案内人は、遥か昔平家物語歴史の制作中に、迷い道福原遷都の責任者として不実道案内の前科ある人であったというから、世界史計画の経歴の長さを思わせられるのである。
 先述、福ちゃんの 「兵位の者だ」 という言葉の変化から、「へ」 が始まったと考えるのは浅い読み取りなのかもしれない。
 王室というものは、思いも掛けない世間知らずな世界の所のようである。 この室内に一人パンツを穿いていない者が一人いる、などとセンセーションを巻き起こしても、実は世界にパンツを穿いているのは西洋の上流階級ばかりという世の中の話であったりして。 農家というものは国内身の回りにありきたりであるのに、実際は一度も直視認識したことがない。 したがって湯田町早春の馬橇引き風景の香りの話も、ただ珍しいばかりで美しいような、田舎の一枚の絵の中の点景として受け止めたものと思われる。
 日本は二度西洋にフラレていた。 二回目は湯田町の農民であることが不満足であったためと思われている。 フルネームでない、と注文を付けられたようである。 ベターハーフでありたい。 そういう事の後に、湯田町の農家農村の風景に、語呂モチーフ関連すべく王室の眼差しが注がれたものと推理されよう。