みちのくの人の造形として他にはあり得ない光太郎の真実と取るので文句はないのである。

 しかしどう見ても私的追憶的な追求のものである。 社会に訴える理想性に欠けている。
 ところで歴史の探偵は、この二人の女性像を近くの田沢湖の竜子姫像とつなげて世界史を解釈する。
 先に述べてきたように、竜子姫は、 「夜明けのマヌカン」 のように湖底に沈められていた東洋の魔女たちの蘇りとして、西欧の山中の湖畔に現れ座していた女性を、それに相応しい北東北中央の山林の湖に移しかたどったものであった。
 乙女の像が二人の女性の姿であり、その二人が手を上げてタッチしているようであるのも、世界歴史企画の二度にわたる遂行を物語り記念せざるべからざるからであった。
 女性は少なくともイタリアとスイスの山上の湖に現れたと伝えられているから、あるいは乙女の像の二人は、世界歴史企画の経緯を表したものというよりも、イタリアとスイスの湖に登場した二人の女性そのものを永く記念したもの、と考える方が正しいのかもしれない。
 湖畔女性は見事に成功し、歴史の偉人の母親となった。 稀なることであった。
  見えるか見えないか。 氏は自らに、 「レツドサン」 最後のシーンに放り上げられた剣に象徴される大名遺伝子を自覚しておられたのか。 湖畔の女性は南部氏の子孫でもあった。
 
  (いずれもインターネットの画像サービスから無断拝借したもの)
 世界史初の偉業が成るね、と語らいは明るく親族間のような冗談が交わされていたという。 改革的リーダーシップの記憶たる湖畔本人達を越える後継者はなかなか現れない。
 かくて遂に、中国四人組の 「皇帝」 参加を拒んだベートーベンの蒙昧は克服され、ゲーテの著作名が暗示する如く、東西分離のベルリンの壁は崩壊して東西は親和力によって融合する。