この証言によって、日本はかつて世界組織から指を請求されていたことが分かる。

 ちらっと見た感じ (海岸周航による測量)、日本は小指の先がちょん切れた形に見える。
 あの見たこともない指っこ消えてしまうの、などとどローマ帝国のサロン等で話題になっていたものだという。
 イギリスもまだまだ姿も形も何も見えていなかった遠い時代の話である。
 日本人は指を切られるの痛がって逃げるの、と笑うローマ人の貴族達の心模様が目に見えるようである。
 彼らにとって日本人は高校生なのである。
 何百年経ってもあの島が現れてこないではないか、という会話であった。 この時日本人は土器土偶を延々と作るだけで、さっぱり国家も文化も成るようでない。
 指切りげんまんを頑固に拒否し続けたがために、綾錦の織物も文字文化も国家制度も舞踊奉納も何も知らない野蛮国のままであったのである。 野蛮、ジャワ、ジャパン。 (国名の由来については反論があるはずであるが、世界組織世界史の発見には、取り敢えず一切の学説をむしろ後で加工付加したバイパス路線と見て無視することとする。)
 後に中国と出会って、しのぶもじ摺りの国、文字を書けない漫画の国、何か見せろと言われても、踊り手振りの一つも知らない猿真似の国、と嘲られることに至った事情である。 (この時のカルチャーショックを、今に及ぶ日本文化の独自性とするべく働きかけが為されてきた。 例えば、絣、アニメ日本、猿楽。)