900年前に記された言葉の内、意味がはっきりとしてきたものがあるのでメモしておきたい。

1. 彼はある勤めに「出ることを固辞した。
 水をこぼし」てしまうから、という理由であった。
 西口神社に配属される以前から神官職に就いていたものと想像される。
 朝礼時の下痢症状というのは無根拠に近い悪推理であったようだ。
2. 鶏鳴を要請された。
 朝礼時には、みちのく一番乗りの二人に気合を入れてもらおうではないか。
 就任儀式として、朝礼発声に相応しい「明時の鶏鳴音を承ろうではないか。
 この時、彼はどうしても軽快な演技人になれなかった」ようである。
 いわば、大平総理、中曽根総理のような人の気分を想像すればいい。
3. 以上から、西口神社の先祖は極めてきまじめ、
笑顔もなく牛のように重厚で、欲のない単純素朴な人柄の人であったことが推察される。
 鶏鳴挨拶の乗り物には乗り切れなかったものと想像されよう。
4. しかし中代氏は重く任じられたのであろう、
「奏事をしている、奏事を」と大ニュースのように記されているという報告である。
 「屋根がない」位に就いている、というような口伝があるらしい。
 もしかして屋根が壊れていたので、ある時造寺司の仕事についていた、と驚いていたのかもしれない。