千代の富士は島津氏の御子であったか。

 田中の角栄氏が指を一本突き出していたのは、「じんせい」は島津氏の子孫一本ではなかったか、ということであったらしい。
 殿様は、藩主の子孫らしく自主独立の精神で暴れちょるな、と最後まで手放す気はなかったらしい。 よそ人のできない「仁政」を敷こうとしておる。 めごい。 側に商館を建ててやるから、主らしく好きなようにたった一人の「仁政」を敷きたまえ
 「イヒンなんだから、地下に執着しないで行儀良くお殿様のおそばに座っていればいいんだよ、勘が悪いな」とご家老の方も気遣っておられたという情報があった。 
 となると、布施晃さんも尾崎清彦さんも萩原さんも、加山祐三さんも、浅黒い島津藩主のお子達であったか。
 加山さんのルーツ探偵映画「赤ひげ」の解明であるはずのラストシーンが、極めて明るく武家白無垢な理由が今になってやっと了解される。
 精一も良子も島津氏の流れという事になろうか。 野育ち郷士村の実の縁者である事だけは疑いのないことのようである。
 とにかく、中学生精一宛てに学費仕送りが続いていたばかりでなく、北上市にも大勢の薩摩人が藩主の命によって動員され派兵されていたという。
 家の下にも潜り込んで、どうして島津の者を苛めるの、村田さん、と余程の事 「島津氏」 と叫びたかった、と援助心の厚い言葉が届けられる。
 「伊達さん、精一は島津氏支援の者なんだよ」