東大にも制度的なコネクション入学があった。

   
  北上川に掛かる平泉の橋の道は広々としていた。
   弥勒寺。 亡くなった家族を弔ってもらったらどの位気持ちが晴れるだろうか、と歩を止めてみたくなるような街道沿いの寺。 松尾芭蕉も境内に上り杖を置いたに違いない。
  涌谷城の石垣。 
  近くに日本初の金産地の跡があるはずである。 初の金採鉱を吉事として天平勝宝への改元が行われている。 大仏の開眼供養は天平勝宝4年(752)。 
   思いの外時間が掛かり、男鹿-牡鹿鹿角ラインの一応の終着点の海の空は夕焼け色であった。
  被災地都市の廃墟と化した街区側の堤防沿いを牡鹿半分側の終着点とする。 元々地下組織国土運動の陥没部作戦にはまった市民の被害者が多い所である、という情報があった。
  牡鹿半島方面はまだまだ青空である。 明日こそは長閑に朝の日が昇るであろう。
  寒い長い夜の待ち時間を何とか遣り過ごしているうちに、いよいよ暁闇を払って、本日の朝日が昇りつつある。