日本に何か似通わせているのであるが、世界史宝玉の実質は結局は日本には生まれなかった。

 三千年の雪会式の場合は真実世界と並ぶものがあった。 奈良平安京都室町方丈、そして姫路城江戸城松尾芭蕉の俳句韻文の確立まで。 後には世界の師たるような建築文化も文学作品も思想の革命もない。
 日本の天気記録表を見せられたことがある。 曇り曇り曇り曇り、やや晴れ。 この晴れは浮世絵のリーダーシップ性を指している。 久方ぶりなのである。 千秋に実る雪会式の歴史観に通じている眼の言う事である。
 明治の代には童謡があった。 どうぞメロディ、というスペイン王室伝統からの請託があったものと推理される。 しかし、世界の何々と名付けられるような宝物となるまでには至らない。 戦後の歌謡曲もその伝の賑わいであったと考えられる。 沢田研二の歌が、特にロイヤルストレートスペシャルと銘打たれてCD販売されているようであるが、スペイン王室伝統が日本にメロディを贈呈する原因現場の歌だけを沢田研二は歌っていたことがあった。