先ず、織田信長49歳、シェークスピア52歳、両者の顔を見比べてみよう。

  クロンボー城内にあるシェークスピアレリーフ像。 刀を差した信長に似て見える。
 二人はほぼ同時代の偉人達であった。
 織田信長 生年 1534 没年 1584   シェークスピア 生年 1564 没年 1616
 シェークスピアの人生については詳しく伝えられていない。 白鹿伝説を先祖に有している、という情報を聞かされたことがある。 鹿、ロクとも読む。 (天脳室机は、日本語−漢語和語を秘かな世界史モチーフに抱え込んでいた。) 組織はかつて、日本は鹿の国と第一定義していて、という数にこだわりを持っていたのではないか。 それを証するような世界史年表が私達の手元に残されている。 世界史は法則的にも鹿仕立てであるべく企まれていたのかもしれない。 儀式のように無理強いされることもある。 (その身柄我等と「一心」「同体」である。) 
 織田信長の人生はむしろシェークスピアの代表作「ハムレット」と関わりがある。 「ハムレット」は、間接的であるにしても、デンマーク最古の正史とも呼ぶべき古文書中の兄弟王の物語を元として書かれている。 叔父を討つ王は火を放って戦う。 織田信長比叡山焼き討ちは有名である。 自らも火によって焼き滅ぼされている。 どういう訳か信長は黒人を身辺に置いていた。 物好きなばかりでなく警護の用に役立つという信用があっての採用であったと思われる。 本能寺から更に二条城に移って戦い、遂に倒されずに南蛮寺に入ったようだ、というウィキペディアの記事があった。 日本で唯一のクロンボー侍の雇用例であったと思われる。 デンマーク王の城はクロンボー城と呼ばれている。 徴税用の城であったらしい。 信長の安土城も琵琶湖の傍らにあったが、むしろ城下における市場税の廃止が有名である。 物語は父王の葬儀の際の行儀にも触れていたように記憶する。
 クロンボー城
 
 1585 (本能寺の変の翌年) 増改築終了。 クロンボーの名はこの頃からであるという。 
 1629 失火により焼失。
 織田家の出身地織田荘は、日本海に臨む越前岬を眼前にしている。 安土城にはその臨海風景が反響しているのかもしれない。
   (以上ウィキペディアから) 塔そのもののような安土城