眉毛の黒々とした細長顔の勇士は大胆に歩を運ぶ。

 偶々眼にすることのあった南米独立の英雄(写真)も、やはり横断的な戦闘指揮に渡り歩く将軍であった。 ベネズエラに生まれ、スペインに留学してナポレオン軍の兵士となり戦歴を重ねる。 南米に帰ってベネズエラの独立闘争に加わり、後に孤軍奮闘の将軍となる。 ベネズエラ一国の独立に終わることなく、独立戦争の布教者のようにコロンビア、ペルーと南に軍を進める。 
 細長い顔と言えばエル・グレコの絵が思い浮かぶ。 グレコとはギリシア人の意。 クレタ島の生まれ。 ベネツィアで修業、トレドで活動。 やはり移動人の人生に出会う。 それにしても悩ましげな不思議な、融通のない特異な絵画である。 解かるべき秘密があるに違いない。 
 北上市にも写真にそっくりな一族がおられる。 市長さんや教頭先生になっておられ、私自身も小学生の時の先生として、また同級生友人としてわざわざのお世話様に預かっている。 先祖は回国の宗教家であったと伝えられている。 友人もどういう訳か遥々と南行して、鹿児島大学の水産科に入学していたようである。 この歩き者の運命は単なる偶然の一致であろうか。
 「この歩き者」のルーツを推理探偵して、ゴート人とみる。 スウェーデン南部の出身とあるから、眼と髪の色の点、疑いがなくもないが、真南に移動してから今度は真西に向かう歩幅は思いっ切りがよくて、徹底的である。 方角を取ると、とにかく行く着く所まで進みきる、というような性格を世界史地図帳から感じ取ることができる。 西ゴート族の場合、西ローマ帝国側の妥協によるイベリア入りであったという世界史の説明があった。
 そして、眉毛の濃さは、決して民族毎の特徴ではなく、民族の如何なるに関わらず、湖沼地帯という生活環境に原因するものであるという推理探偵の一結論を上げさせてもらいたい。 スウェーデン南部は確かに見事な湖沼地帯である。 黒海北岸の各大河も広範に湖沼地帯を成している。 ブレジネフ書記長の出所ではなかったか。 
 とにかくまぼろしの民族ゴート人の個性がイベリア半島にこそ色濃く保存されている、ということは予想されることである。 ラテン人スラヴ人ダッタン人と賑やかな民族歴史の堆積地であるイタリア半島ハンガリー平原に、渡り人ゴート人が特に自己同一性を掲げ続けるべき事情があるはずでもない。
 フト思うことは、スペイン王室に招かれた瀬戸内海人の方丈形の顔形である。 小柳ルミ子のような荒川静子のようなテレサテンのような中島みゆきのような顔の輪郭が記憶されているようである。 谷崎潤一郎のような大江健三郎のような坂本九のような顔形。 川端康成のような平田満のような顔形のやや冷淡な相棒がいたことも暗示されている。 ・・・ 方丈形といえば四国よりもイベリア半島の方がはるかに規格正しい。 
 今、テレサテンの上ずって細々しい、纏綿として泣きすがるような歌声を霊魂の音と聞き、ピカソの破壊された顔とゲルマニカを絵画史の止めとする組織の因縁の深さを想像すれば、グレコの顔が細るばかりのような懊悩の絵は、スペイン王室個人の心象を描かせたものとも考えられるのではなかろうか。
 遥々と訪れた、物静かな謙虚な健気な音曲好きの東洋人たちであった。 
 このような苦悩の表現からも、かつての世界遺産活動の動機の真実味が感じ取られるのである。   
 彼らはわざわざ東洋人を連れ出して、本当は彼らに心がないのではないか、と「親和力」を書いたゲーテが語っていたというが、これは二代目組織の仕事を見聞した時の感想であった。 初代組織も戦争好きではあったのかもしれないが、組織自身の為した事であるにせよ人が死んだからといってまたその分の凶事がなきゃならない、という勘定書きではなかったように思われる。