陣会議風に床几に座るものであったという情報があった。

 車座作戦という言葉を聞くことがあるが、この時の「雁首の揃え」方をいわくとしたものなのかもしれない。
 南部氏は何か気がかりがあったか、初めから、床几の上の腰の据え方に落ち着きがなかったという。
 「わが藩内の神社家であるが、現在は例の村役採用の北海道人が座っている。 諸侯が向後そろって応援する相手としては、元来の日本人であってもらいたい。 できれば、武士身分の者でなかろうとも、保守本流の日本人の方がよかろう。」
 「身分が武士とか大名とかでないことは知れたが、本来はどの程度の身分の者か。」
 「田村公のお馬の御魂を岩手山に祀り鎮める官人であったということが知れている。 我が朝廷の官位官職でいうなら、かつて御師という程度のものではなかったろうか。」
 「後に藤原氏に仕えて、その地の社を担当してきたもののようであるが、現在は、話したように採用人との入れ替わりに田畑を与えて他所に移ってもらっている。」
 来たる仕上がりの時の祝い品には、大名様方にはそれぞれ何を約束していただけるであろうか。
 「書物台を授けたい。」
 「小袖を授けよう。」