リズ・テーラーは京都菅原氏に似ているというだけで登場したのであろうか。

 大陸のどこかでリズに繋がる西方人と混血していたのかもしれない。 単に遥かな白色系西域人であったのかもしれない。 極めて色白で、絹のような、という形容を授かっていたらしい。
 多くの京都人が米国の図書館司書を勤めるべく配置されている、という報告があった。 議長もその伝の方ではなかろうか。 とにかくリズ・テーラーが京都菅原氏に似ているというので、今回のスタートがあったことは確かと思われる。
 ブルーレット置くだけ、という言葉の原点は若き頃のリズの訪問記にあるものと想像される。 ささやかなブルーネットの記憶は現在に及んで残されていて、下の写真に発見することができる。

築山と白壁の旧家を一掃改訂した後の遺物といえば、井戸と裏の納屋と一本のイチイの樹ぐらいではなかろうか。 確かに改訂努力の対象物件たるを免れたこの二ヶ所に限ってブルーの色が鮮やかである。
 最初の住民は、日本国民側のレジスタンスに遭い絶滅したことになっている。 しかし日当たり何人もの増産活動によって多勢の子孫が日本中で活躍しておられるはずである。
  レジスタンスの拠点たる山の神神社。 遥か昔、明治の代の仕事である。 右後方が教徒いちいの家。  
  裏木戸口。 グループの仲間割れを利用した絵も何もない居酒屋作戦の背景となっていたのであろう。 見事に成功したのであるが、京都家一軒までの進軍であったようである。  
 その後に座った村田英雄さんの仕事が、上記の因果払い日本国民座りの土木儀式であったのである。
 (村田さん自身の仕事跡は、華々しく江刺藤原村西側の岡の上に保存されている。 納屋のような建物を何に使用するという当てもなく新たに建て、一般の住家のように郵便受けがあっても、入り口もなく係り員もいない歴史の建物を保存表示し、 ・・・)

 国王様と王妃様の御姿がこの小屋に誘い込まれるのを眼にしたような電話報告があった。 「お前なんかいなくていいの。 上の家なんか応援するもんじゃないの。」 地域民との喧嘩を演出したかったのかもしれない。 その後、主殺しした、主殺しした、と言って歩き回る男もいたのであるが、よく考えてみると「地域民」の参加は一人いたであろうかという内実であったようである。 
 どうして図書館の司書を勤めるべく定められているのかといえば、なぜそもそも京都菅原氏は認定され、格別にいちいの樹の門のある屋敷に配置されたのかという質問に答えなければならない。 文庫の係りを果たすべくは、顔形が極めてレクラメ文庫に似ている者であるべし、という活動の命令があったからである。 これは絹女性の方の顔形の事ではない。
 米国に渡った子孫もいるという話であるが、日本における子孫人数も少なくないように思われる。 東大名誉教授の方の百円文庫本を下に示す。 

 さすがにイチイの樹の門を授けらるれるにふさわしく、仏教徒の誠を遂げていた一家の息であったようである。 その絶滅があまりに目覚ましい事であった為の、リズ・テーラーであり司書役であり、議長抜擢であったのに違いない
 驚くべきは、絹女性の子孫が上の家の次女貞子さんとなって隣家にいたことであろう。 この次女の人はまた、横手城下の藩士子孫を父親としているという情報である。
 その名も貞なる貞子さんとの巡り合いが初めてというような上の家との掛かり合いであった。
 仏教徒の子孫の名に相応しく、所々のお寺の別当や住職を勤めておられて、迷い道なる記者の半生の行路上にもお世話になることがあったものである。