性器覗き見は日本にも上陸していて、

侯爵三枝氏嫡男もトイレの穴からライトを浴びせられ、覗き見されていることに気が付かれ、伝統の国境探偵に励まれたのであろう、遂に犯人特定に成功する。
 何と地域でも高尚な洋館造りの産婦人科医院のルートではないか。 ソファに座って話を付けている姿を永遠の記念像に、しかし氏はここで命を落とし例によって新人物と入れ換えられる。 家族との縁が薄いのか警察通報は行われなかったようである。 もしかしてその時御歳未だ二十代の頃の事件ではなかったか。 従って氏の真実のお顔は一般に流布していない。
 ところで彼らは三枝氏の性器を覗くためにトイレの下にまで潜入したのであろうか、それともお内儀との密議に勤めていたのであろうか。
 一説によると三枝氏は城主大名の発端から国境意識が高く、一人裏日本問題に踏査を極めておられたというのであるが、この期においても、国境異民族問題のたった一人の反乱者たる運命に陥り、遂に身を滑落してしまったということになる。 つまり侵入者たるものを眼にしては容赦がなかった時代があったという報告があった。 王室系子孫には組織はわざと冷たく、門前の乞食時代を刑罰の如く命じる特徴がある。 その門前の乞食同然の身の上の者達が被害に遭っていたようだという。 (本内部落にも貴族混血系の子孫ということで上の家に膝を擦り付けるようにして座っていた一家があった。 海松を見るようだという程の裸に近い極貧生活を押し付けられていた。 彼の者と早くこんがらかってもらいたいというヴィクトリア女王陛下からのサプライズアイディアではないかという一報がある。 北上市にも太陽王系子孫の家があって、やはり当初は刑罰の如く過酷な運命に座らされていたようである。 ジーター選手よく耐えているな、という観測印象ではなかろうか。 明かりが欲しいと、ちょっと眼が不自由にもなっていた時期があったらしい。 玄関には煌煌と二つのライトが灯されていて、何故か今こそその所在を明らかにしている。) ブカブカと殴り歩いていたというのである。 その恨みによるトイレおびき寄せ作戦であったのかもしれない。