太田氏は片倉氏兄弟の弟であった

900年近辺の雫石赴任を記録する公私文書が不在のため、雫石蒼前社事業の公的認定がない。
何か伏すべきものでもあるかのごとくである。
これは不当である。
鮮やかな壮挙とも呼ぶべき国土鎮護の事業であった。
たいふ地位の紀氏以下、多くの神祇官、神戸役人、巫女を伴った人数を養い、代を重ねるに足りる
永久的な赴任地の設営が行われたものと想像される。
お互いが公然とそのルーツを誇り、正しく落ち着くのでなければ永遠に縁起の悪い定めとならざる
を得ない。
大胆に紀氏が独歩的にグループから離れ、巫女さん方を引き連れた事で仲が険悪となった事があっ
たようである。
仲間割れの雰囲気も誉あるルーツの公的認定の阻害要因となっているのかもしれない。
事実は事実として固まり、一致団結するのでなければ、由緒正しい国家的原点の認定を得て、公然
と取り上げられるのに至らない。

どうしても歴史事実として、公然と記述されるルーツでありたい。