六部問題 四


民族学の先生の本に、入ってから出て行くのを見なかったという近隣の人の風聞と、みずから質素勤勉の努力の功を説明するのと、対決している局面の記述があります。
貨幣経済の発展期に、村落にも蓄えの力が効き出して、今までとは違う急激な差の広がりが見えてきました。
長く農家の規模というものはある程度平均的で、また固定的であったのです。
その貧富の差の急な現れの説明原理として、六部伝説が流行りもののように利用されたと言うのです。
周囲の家の人たちの嫉妬心がその説明を求めそれを取り入れた場合があるということです。


人類の歴史の始まりから普遍的に続いてきた、身分差別搾取制度との最初の戦いの主役スターは、
この時代に勤倹貯蓄の努力に秀でて事業家となった、かのブルジョワジーと呼ばれた人たちでありました。
フランス革命も、またアメリカ独立戦争も同じく、貴族支配制度と対立したブルジョワジーの解放戦線であったといえます。
日本の場合明治維新期には、このような市民層は未だ成り立っていませんでした。
この時期はまだまだ身分差別意識が強くて、身分を問わない軍隊として有名な奇兵隊も、高杉晋作が亡くなると、百姓上がりの兵士は散々に叩かれて追放されてしまったそうです。
代々のさむらいでなくとも、その時点で郷士なりの資格がないと、いきなり百姓からは地位には付けない世の中であったようです。
ついでですが、坂本竜馬勝海舟中江兆民伊藤博文も、その時点で郷士以上になっていた人たちです。
農民がいわばブルジョワジーとして日本国の政治運動に加わったのは、身分制度撤廃以後の民権運動の時からであると、教科書にも書いております。


しかし実際には、日本国においては、ブルジョワジーによる革命というものは、太平洋戦争敗北時にまでなかったのです。


この人類史のブルジョワジーとなるべき人達が、日本では、一部六部伝説に捕らわれてしまったということができます。


また、何か都合が悪いことがある場合に、昔はほとんどシャーマンに聞きに行ったものです。
今なら病院にいく場合ですが、その原因を教えられ、対策として祈祷をお願いするのです。
六部伝説の発信源の一つは、こういう場合はシャーマンであると書かれています。