六部問題

再度六部伝説の欺瞞性について

「南部藩主の方」がどういうわけか、早期のこの情報活動を目に止められ、「伊達藩主の方」に薦められたという話がある。 近辺で両当主をまじえての座談会が催されたことがあって、日本国の貴族たるものの光栄を仰ぎ拝して来たことがあった。帰りに伊達藩当主…

食物目撃譚

活動員が組織に頼まれて「食ってらったど」と言っただけだそうである。今となっては銘々が反論できる証拠を持っているわけではない。 基本的に、手入れが入りそうな場所でそんなにやれるものではない。手に入り易いものでもない。 狼、などと言っても顔を見…

あったというが、組織工作の「壮夫」作りと何かの関わりがあるのだろうか。 全員幼くから学問を熱心に修めて、試験合格による就職社会であったという。儒教国家の伝統的な公務員試験制度そのままである。 たぶん大量に美少女はみ出し運動か何かあって、わざと…

世界現象であったロックフィルダムの大放流

という前ページの記述を読み返したら思い出されることがあった。 昔物理学の問題の関心から読んだ本の中に、アメリカの教授の、ヒモ論に繋がる根元粒子の成立を語るものがあった。Y町は谷間の町であり、近国無比の景勝地と讃えられているほどの、険しい峡谷…

早くからあったようだ。 前にも少し触れた事があるが、臓物食の秘密はヨーロッパ大陸に初めから潜んでいたと思われる。 スケッチでもプーリーでも、遺体趣味の指導と記録があったようだ。 アメリカの平原で、列車が来るとわざとマウンド上に立って地面を指差…

昨日久しぶりに外出した

経塚問題で、どうしても歴史民族博物館の先生の講義を聞いて確かめたいことがあった。 埋経は国の宗教儀式として厳かに大宰府の周辺等の山上で執り行われたもののようである。 藤原の道長が最古の儀式主であるという。 六十六カ国回国の法華経運搬行の僧侶の…

年が明けても何度も何度も繰り返される言葉 ろくぶばりいいな

「ろくぶばりいいな」という言葉があるが、ひょっとして六部伝釣りの人達ばかり無罪冤罪、(先祖)善いな悪くないな、と呟いている言葉なのかもしれない。 そういう人達ばかりが偉くていい日本国でもないし。 地元でも先生方が話しておられたという。ろくぶば…

六部問題について書き始めた頃

映画館で映画を見たのは何年ぶりであったろうか。 前回は越後だかの百姓一揆の話の映画であった。 今回は話題作のラストサムライ。 函館にある洋館のようなシーンから、暗示の声が混ざりは始めた。 ここで、日本国地図を挟んで、西洋人と役人が、こことここ…

床下に遺骸を置く風習について

テレビのディスカバリーチャンネルで多くの発掘例が報告されていた。 家族を先祖守護霊として、わざわざ自分達の暮らしている住居の下に弔った跡のようであった。 日本でも夢想国師のような特別に偉い聖人を寺院の床下に埋葬している場合があり、少なくはな…

六部という江戸時代の風体については、もっと古い時代の特殊な法華経護持運動からの由来がある。

原点は、よく紹介される、三蔵法師の西域歩行の姿絵であろう。 三蔵法師の西域周りインド行きの旅の目的は、経典を中国に持ち帰り紹介することであった。 経典の運搬人として共通する所がある。 江戸時代の姿しか知らないが、木綿の衣姿を見ると、意図的に三…

組織の先人が心を留めていて、今確かに伝わっているものがある

六部伝説を解くこと。 聞き耳頭巾の釣り合いに、勢道政治のかえってのんきな人柄の被害農民を獄から救出してきたこと。 今でいう、非道政治からの人権救済、アムネスティにも似た人集めであった。 あるいは日本の場合と同じく、最初から動員のための企みがあ…

六部問題について。

亡くなってしまってから、さぁどうしようというのでなく、六部回国の人自らが、そこに置いて下さい、と遺言したのでなければ、このような素朴律儀な人達と強盗を働くような無神経冷酷人との大きな違いの事実が成り立たない。 吉右衛門の家系はしつこくどこに…

六部問題 六

日本国中に、スタンプを押したように、全く同じ素材で物盗りの風評が広まったようです。 単語一語、暗号のように、六部、と決まっています。 他の単語は一切ありません。 そして、例外なく、発覚していない風評だけの引っかかりであることにも気が付きます。…

六部問題 五

六部風評に告白的なエピソードのものがあります。 ここでは一つ一つのエピソードの内容に触れることはしません。 その家の者同士の会話が残されていることがあります。 会話そのものが、その現場からまるで録音機で写し取られたように、生々しくそのままのよ…

六部問題 四

民族学の先生の本に、入ってから出て行くのを見なかったという近隣の人の風聞と、みずから質素勤勉の努力の功を説明するのと、対決している局面の記述があります。 貨幣経済の発展期に、村落にも蓄えの力が効き出して、今までとは違う急激な差の広がりが見え…

六部問題 三

江戸末期にはやり神様という流行がありました。 特に僧形の者が亡くなった跡に石碑などを建てて拝み、その御利益を頼んだものと思われます。 六部にも命終の時があります。 家と家族から離れて放浪するだけの身の上の者の最期の場所は、道端か一宿の恩義の床…

六部問題 二

亡くなられた藤沢周平のエッセイに、ふるさとに廻る六部は、という変わった題名のものがあります。 六部は出ませんが、花巻市近辺を廻る紀行文の小題名から採られています。 川柳で、故郷に廻る六部は気の弱り、というのです。 つまり多く六部は、故郷に帰ら…

六部問題 一

旅のものと言えば、順番もないですが、座頭、虚無僧、雲水、六部、ほいと非人などと並びます。 江戸時代は管理社会で、官許がなければ自由に乞食旅行もできませんでした。 今並べた旅の者たちも必ず全国統一規格のファッションに身を包んでいます。 最下位の…