六部という江戸時代の風体については、もっと古い時代の特殊な法華経護持運動からの由来がある。

原点は、よく紹介される、三蔵法師の西域歩行の姿絵であろう。
三蔵法師の西域周りインド行きの旅の目的は、経典を中国に持ち帰り紹介することであった。
経典の運搬人として共通する所がある。
江戸時代の姿しか知らないが、木綿の衣姿を見ると、意図的に三蔵法師の絵姿を真似たもののように思われてくる。


このアンド運動における、日本全土的六部風評問題については、このダイアリーの最初のテーマとして述べられているので、だれかれとなく、皆様に、ぜひとも読んでいただきたい。


イギリス人から無法に特殊な人たちに授けられた設備薬物活動であるが、その例外のない広がりと長い歴史から言って、あまりに重い影響力で日本国民に被さってきているはずである。
その為には考えたことのないような人数の基本設備員が日本国中に安定的に配置されていなければならない。
どこの入り口にも常に近くに管理人がいなければなるまい。
昔からの日本国の衆議院議員や大臣の先生方でも、詩人や小説家や学者の方々でも、漏れなくこの顔の見えない運動員の人達のネット上にある日本国士であったのである。
大胆な盟約と決意と約束をもって踏み込んだものであろうし、場合によっては上にいる者を払って「自分に」生れ換わってやりたいぐらいの長い地下作業であろう。
もちろん、怠りなく、すでに多くの自分の関係者も幸せに活躍している日本国土であろうが。
日本中の先生の出世と功績の半分は「自分」である、と顔にも出さず自負している運動員の人達が国土に溢れていて、それが見えていない。
徹頭徹尾密かなのである、この運動は運命として。
堂々とできる恥ずかしくない大義名分がない。
日本国の管理人であるのに透明人間の仕業のように、百年もその現場実態が秘密のまま見つからないできた。
日本国民の人数は、一億三千万だという人がいたが、実数であろうか。
駒遊びのように、起重機の上の日本国実力者社会形成であった事が、百年以上の歴史からあからさまになるようである。