全部コピー係りの為の運動だ、などと言うのは嘘である

今時、コピーしているぐらいの者のために、全運動をしているなどと言うのはいかさまである。
人殺しの罪の重さに比較してどれぐらいの実益ある世話があると言えよう。
人殺しまでしてしまって、無駄だった、とか、無駄がある、ということはあまりに恐ろしい軽はずみではないか。
人殺しまでして人の世話を焼きたいものだろうか。
人殺しまでして本当に人の世話を焼きたいのだろうか。
自分の意志で、人殺しまでして世話を焼きたい心があるというのなら、無条件に親身なものなのであろう。
第一、人殺しするほどの勤めがあるのか。
大人数で実際何をしているというのだろう、
人を殺すというほどの重い罪に加担してしまってから。
嘘でないなら、一員たりとも無駄があってはいけないほどの重大な、人命に対する責任がその人達に被さっているはずである。
コピーしている者がそれに相応しく日々偉くなるのを応援していると、言える者はいまい。
人を殺す作戦に加担してしまってから。
本当に人を殺してもいいほど応援したいのか。
百年の不公平出世侵害活動の末に、全運動が、今まで馬鹿にして見えたこともないような者を良くするためだ、などというのは、契約時点での真実でない。
多くの場合と同じように、相手を見るまでもない向こう見ずである。
全運動が独り者のコピー係りなどの利益の為に回っていることなどない。
いくらかのお世話はある。
しかしあまりに無駄である。
人を殺める作戦にまで及んで。
大人数に並んで、嘘のように、あまりにやる事がないのではないか。
作戦は人を殺めているのに。


いうまでもなく、私は人を殺めるような運動の世話にはなりたくないのである。
この地下活動というものは、相手に一切断りがなく、勝手に潜り寄って勝手な事をし出かす、という、全くの相手不在の押し売り仕事なのである。
人を殺めて追っ払ってしまう、冷酷無残の作戦に居並んでから、奉公は止めたい人が多いだろう。
いい身分を盗んで暮らしていられるだけならいいぐらいの気持ちでもないのだろうか。
隣近所地元の環境が良くなった、などということは決してない。
すでに百年の運動なのである。
要らぬ事でもとにかく間に合っていたのだ。