昨日久しぶりに外出した


 経塚問題で、どうしても歴史民族博物館の先生の講義を聞いて確かめたいことがあった。
 埋経は国の宗教儀式として厳かに大宰府の周辺等の山上で執り行われたもののようである。
 藤原の道長が最古の儀式主であるという。
 六十六カ国回国の法華経運搬行の僧侶の仕事とは擦れ違っていたようである。
 江戸時代の六部とはまるで異なるものであるが、花巻北上平泉などにある経塚もこの回国僧の歩いた跡と見ることはできないようである。