食物目撃譚


 活動員が組織に頼まれて「食ってらったど」と言っただけだそうである。今となっては銘々が反論できる証拠を持っているわけではない。
 基本的に、手入れが入りそうな場所でそんなにやれるものではない。手に入り易いものでもない。
 狼、などと言っても顔を見て言うだけのことである。
 「こんにゃく」のようにかじっていたと言う。そんなことがあるか、くわいだよ。戦中戦後の庶民の食事は多彩なものであったろう。
 東北から来ていた人達が後になってわざとのようにも生活に困らされ、脅されたりして歩かされた事があったらしい。新手の動員作戦なのであろう。
 戦後の一時、同じような食事目撃譚工作が、珍しくも神道土葬する土地で指導されていたようである。指示があるがままやや不便な土地の家の奥の間を借りていたのだという。土葬地だからだったのであろう。この場合色を出すまでの指示であったようだ。あくまでも組織に従う精神であったのだろう。
 韓国では土葬が主流であった。ボヤボヤ行くか、というのと、ボチボチ行くか、というのがあったそうだ。どうらん少年だけのことであろうか。アメリカではマウンド上の指差しポーズの儀礼があったという。
 見られていると知っていて、自主的に儀式のように何かの仕事をしただけという場合もあったようである。
 聞き耳ズキン工作と同様の、噂を使った地下活動展開のための動員作戦、囲い込み作戦と言うことができる。