六部問題について書き始めた頃


映画館で映画を見たのは何年ぶりであったろうか。
前回は越後だかの百姓一揆の話の映画であった。
今回は話題作のラストサムライ
函館にある洋館のようなシーンから、暗示の声が混ざりは始めた。
ここで、日本国地図を挟んで、西洋人と役人が、こことここに上六を置こうと、全土計画について話し合っていた。
彼も彼も彼も、そのいわれ付きのスター達である。
六部問題について、その仕掛けを明かし、その偽装工作による長年月の呪縛を解くことについて、それに触れ書き記すことについて、ためらいの岡にいる気配が窺われる。
簡単に成る事でもないであろうが、なにしろ先代の汗を流した大工作である。
正面にして問題にすること自体、百何十年ぶりの封切りなのである。
工作裏舞台について、いくらかでも事実のほのめかしを届けられたのは、この時が始めてであった。
後にも所々で、ためらいの声が届けられる。


まず掲示板に書き始める。
すでに身の周りで簡単に調べられることは調べていた。
短いものではあったが、専門の図書に深入りしても、啓蒙用のビラにふさわしいとは限らない。
実を言うと、森羅万象分厚い運動の世の中、何に出会うかは、まるっきりの「グリュック」なのである。
読めば読むほど会う。
見れば見るほど知れる。
身近の多用語、注進、ももし昨年、偶然にも「坂の上の雲」全作を読むことがなかったら、その言葉の実感を伴った意味を解することは永遠に出来なかったであろう。
その長編にただの一度使われる言葉であったが。
捕り物帳のてぇへんだ、に近い。
修学旅行でも行けなかった珍しい日本人が、今ビデオ京都12巻を見終えたところだが、その長時間の中で、千利休の茶室と比叡山の短いシーンが、地下運動の古い由来を知らされる機縁となる。
これがなかったら暗箱構造の古い渡来の確信には至らなかったかもしれない。


失礼ながらも、掲示板の書き込み中、皇室にお届けするのだぞ、という暗示的な指示があって、パソコン初心者のなれない手で、一所懸命に書き込んだものであった。
最初からやめろやめろ馬鹿だ、という声があって、短いものではあったが、二回か三回消されてしまい、その都度書き始めなければならなかった。
いつも、面影似たような人が、横の化粧品のコマーシャルの欄に現れて、応援してくれているようであった。
書き直した記事が、この日記の初めの方に載っている。
また、ホームページ http://hakumokuren.com/ にも書き写されている。


以上、百何十年の大仕掛け六部問題について書くということは、組織の歴史において大きな踏み込みであり、運動の暴きの始球式として、重大な決心事であったようだという報告である。