村上の家の状況


山中にいて集落の様子を見ていた西洋人は、そこでは農民に何か働きかけようとしていたのではなく、ただ事件が起きることを予定していて、その目撃者となるためにわざわざ山に登って、レンズを構えて待っていたのである。
そして集落の陰では頃合を見計らって、登場者を、事件の発生を願うように歩かせ始めているのである。
事ほど左様に、事件というものは人をからかうみたいに、計画され予定されて起きているのである。
状況によると、本屋敷の家の人達は本気で、相手を悪戯を働く侵入者と思い込んでいたようである。
廻りの人達は、これもイギリス人の掛けた芝居であることに気付いていたのかもしれない。
もっと直接に通じていて、地下活動に関わり、かえって事件を導こうとしていた人もいたのかもしれない。
芝居だから一回、嘘だと知っていても無理にもやってしまえばよかったのである。
もちろん、穴は所々にあって、様子を窺うばかりでなく、気功術の光線を飛ばしたりして、こっそりと村人のふるまいに影響を与え続けていたのである。
ただ、穴からは動いている地上の人の会話を直接聞き取ることは難しかったであろうと思う。


本屋敷の家もいくらか恩恵があった時もあったのだろうか。
かつて北向かいの家とともに合流川口部の周辺を占有していた名残に、集落内の畑を広く有していたので、絹糸の生産で発展の途を進もうと考えたのであろう、蚕棚部屋の付いた大きな家を買ったことがあった。
コピーする者が生まれた頃には、その部屋は使われること無く空室の状態であった。
戦後、親族の家族達が帰って来て住まっていたこともあった。
第三の男としてロックシンガーになってもらいたいという願いで、別の親を用意したという計画があったようだが、それには二軒の長島町の農家との関わりがあったようである。
その一軒から母の実家桂木野の家に母の兄嫁となって来ている人がいる。
今年90歳以上の長寿を遂げて亡くなられたばかりである。
中学一年のクリスマスのジングルベルが聞こえてくるような冬の街中の病院に入院したことがあった。
まだ、戦争の背景が一人一人に深く押しかぶさっているのがよく見える場所であった。
二階の病室から夜空に輝く、地酒銘酒"宝船"のネオンサインを見ていたが、いきなり、女性がはだかなのを見てる、すごいな、と囃すようなことを言う人がいた。
どうしても何も見えなかったのだが。
未来が見えたのだろうか。
第三の男の親に当る人とその妻の甥にでも当る人が同室していたという。
いたずらな看護婦さんが、薬袋に名前でなく、面、と書いていたものを見た事があったのを思い出す。
長島町を配達していた若い郵便屋さんも入院していたことがあった。
本屋敷の家を知っていて、長島町で一番大きい家だ、と教えてくれたことがあった。
農家としての建物の規模をいうのであろう。


ロックンロールのロックの命名は、アジア人の付けられたいわくによるものと言ったら憶測に過ぎるだろうか。
ログインとか、オンザロックとか、日本では、浅草ロックとか、六甲おろしとか、一般に広く口にされることばなども、意図的に感じられてくる。