いろいろな証拠資料から


川向に暮らしていた家族がいたようである。
今その土地で思い出す人はいないという。
一時のテント地であったのかもしれない。
酢味噌、をしていたという。
西洋人なら、甕の中の味噌から何かを取り出して食べるのを見て、得体の知れない気がしたかもしれない。
日本では、大根やきゅうりを味噌漬けにして食べるのであるが、大陸では、たぶん保存用に肉類も味噌漬けにしていたことがあったと思う。
避難中であれば、いろいろなものを保存していたと思われる。
今はあまりはやっていないが、何でも入れておけば何時でも食べられる、昔の冷蔵庫といったものである。
黒茶色の味噌が珍しく変な物のように思われて、キーワードの一つとして記し残されたのであろう。