日本のストーンサークル種族


アジア人は広域に、奥深い一系統性を潜めているといえる。
よく知られた、蒙古斑などの証拠からいうのであるが、アジア人の由来を伝えるフィンランド人や、ハンガリー人などでも一定の割合で現れていると伝えられている。
それからいえる事は、アジア人は一箇所の一部族の発展に由来するものであるということである。
原アジア人と呼ばれている。
かなりの古さから断定されることは、そこはボルネオとその浅瀬の海を含む東南アジアの辺りであるということである。
北方のアジア人の一部を根源的に別の北方ルートから考えそうだが、そうではなく、二次的な白人との混血によってその特徴を解釈するべきである。
犬の系譜についての説明からも、アジア人の出生地からの発掘証拠が最も古い由来を届けているようである。
その後犬は北上したという足取りが取られるという。
パリア犬の類で、東アジア一帯の犬食習慣の対象となってきたものであろう。
その後遅れて、イラン辺りで狼犬が飼いならされたというのである。
中国で犬をケンと呼ぶが、アーリア系の古語でもケンと呼ぶ。
ワンキャンワンキャンと叫ぶ犬である。
狼犬の系統と思われる北方系の犬は、古来イヌと呼ばれている。
日本の犬はイヌ系である。
もちろん西欧にもこの系統の犬が広がっている。
そしてバウアウなどと吠えるのである。
以上から、日本犬は原アジア人と一緒に日本に来たのでないことが分かる。

日本犬でも有名な、最も威厳ある体つきの秋田県は大館地方を本拠として伝えられていたという。
ここらは眉丘に特徴のある人たちが集住している地域である。
戦乱の日本列島史の人の行き来から静かに守られて、一団的な強い特徴が保たれてきたものと思われる。
イギリスのストーンヘンジから点々とつながって、シベリア、モンゴル、北海道を経由して、岩手、青森に落ち着いたストーンサークル文化と重なるものと思われる。
福岡川流域に限定的に特定数の発掘があるのであるが、青森の大湯のものは規模が大きく世界的にも顕著な、新石器人の性格を示す証拠といえる。
小国にもこじんまりとしたサークルが残っていて、日本では珍しく、ストーンヘンジのミニチュア版のように、周辺にぐるりと石が立ち並んだものである。
福岡川下流域は豊穣な地帯で、万頃の沃地と古代史にも謳われている所のため、関東などからの侵入が早く、一団性の特徴を残しているということはない。
すでに、安倍氏の頃にも混血度が強かったと思われる。
縄文人の遺骨からも50パーセントぐらいの弥生人との混血が認められるという。

柴犬などを伝えた縄文人はイヌを連れて日本列島に歩いてきた細石器文化北方大陸人といえよう。
その後縄文後期にも、ストーンサークル文化を保持して来た一団が、船団を組織して、たぶん秋田犬の先祖も携えて、暖かくなって果て知らず水をたたえ広がる日本海を渡ろうと、一大決心したものと思われる。
ストーンサークル朝鮮半島や中国中原以南、西域、東南アジア、太平洋地域には見られないという。
中東から分かれて、南インドで止まったようである。
北方ルートは更に北アメリカにまでつながっているという報告がある。
前に述べたように、このルートのヨーロッパからアジアへの横断的つながりと、全アジア人の由来である原アジア人の系譜とは時代が離れすぎていて、全く別個のものである。
なお、ストーンサークルは人類史のエクソダスポイント、シナイ半島にも見られるという。