江戸時代にも人をまるた家であった


村上の家が登場する古文書記録に、隣村から、蔵のストック、小豆とかを盗みに来たものを追いかけて捕らえ縛り上げたという、目を引きそうな事件記事があった。
どのくらいの範囲の方言か知らないが、人や物を縛ることをまるぐという。
それで、人に聞く時、まるたが、まるたが、と言うのである。
何の事件であれ、捕らえて制したり移したりした場合、人間をまるた事件ということになる。


関東大震災時にも、遺体を木材のように扱わなければならなかったであろうし、人類史共通の無念にも思想とか生存競争のための対立で、他民族を人と思わず、生きている人間さえも木材のように扱ってしまうことがあった。
歴史時代の人間の優越性というものは、すべて人を殺める武器の威力によって、他の人間を平等のものとしない被搾取民、奴隷とすることを基としている。
だから、支配者勢力を人の世に何にも生す事のない、ただ抑圧と搾取の制度の保守を仕事とするだけの者として、忌憚なくその真実を突いて、働く農民に対しては、盗、盗、盗、あからさまにも大強盗なり、と定義した江戸時代の思想家がいたのである。
だからといってすぐ他の制度に変われるような世の中ではなかったのであるが。
同じ武器を持っても、勝てば合法支配者搾取者で、負ければ違法の群れ犯罪者紊乱の者、と単純な算数の理屈のそのままで人の世の歴史は進んできたのである。
人の世は切り取り次第、とは、昔の武将も見栄も言い訳もなく正直に言ったものである。


ギリシア、ローマの思想文化の発展の陰には必ず多くの異民族敗北者の奴隷がいたのであり、英帝国の先端を切る民主主義的思想の展開と制度的現実の進行の裏には、1600年代にも始まる東インド会社に見られるような全地球的な植民地経営の潜行があったのである。
人間の持つ内と外に、外を異民族の奴隷として持ち繁栄があれば、このようにかなりローマ市民同士イギリス国民同士では、民主主義的に公平に心広くなれるということであろう。


とにかく、勝って盗るが人の世にある権威というものであった。


関東大震災時の異民族反乱記事には国民は眼を見張ったものと思われる。
国内には、西南の役以後一揆とか焼き討ちとかはあっても、地域的な小さなものしかなかった。
しかも恨みを持ちかねない異民族が、国の制度を覆しかねない国際思想を身に帯びて連帯して、この国土内で暴れだしたとどの新聞にも報じられている。
かつてないことである。
なんと大和王朝成立以後この国は、今まで他民族を大集団で国内に加えたこともなかったのである。
驚愕すべき事態であり、紙面の扇動的活字の跳梁であり、日本一般国民の感覚で言えば、人の世でないことになったと、後先にない異常さに何か腹の底で座り直すものがあったと思われる。


こうして、日本国土を経験したことのない戦場のようにも思わされ、神の名を録するのでなく人間をログしてる、ログしてる、と誹謗でもないような残念なまるた異変が起きてしまったのであろう。
みちのくの奥地でのことは、もっと別の背景もあったであろうから、第三者的公的記録もない限りは、聞いただけの事を知ったかぶりして言うことは誤りであり、法礼儀からも人の道からも言わなければならない事ではない。
不十分なままでは、むしろ無言でいるべきであって、それがかえって公正を守ることでもあろう。


しかし、その事とは全く別に、無条件にこのような事件のあったことを後悔し悼み、繰り返されないことを願う者である。


今はどこの国の人であれ仲良く手を握り、平等に相手の生存権と幸せを認め尊重し応援するのが人の世の当たり前となってきているが、イギリス人の地下活動ではどうであろうか。
あいも変わらず庶民の昔の所業を取り上げて他人の真似をするみたいに、人間を殺め悲しめる子供の悪さを続ける気であろうか。
真似ばかりでなくどんな殺人行為もやってくれと誰も頼んではいないのだ。