神の名を


幸せなきよらかなばかりの一期一会というものがあります。
他では、また後になってからでは、現われることのなかった、その時だけの、同時に生きているその人の昔と今の身の周りと知識と希望と情熱を思い、その人と一緒になっておのずと湧き上がる感興というものでしょう。
このようなデュエット性が身に付くと、かえって発酵刺激がよく働いて、類例のないような冒険的にも拘泥する所のない、思い切った飛翔力のあるイマジネーションが出て来るのかもしれません。
一回だけのことなのです。
花巻の宮沢賢治先生もそのようなことはすっかりみずから気づいておられたようです。


神の名を録したことにより、・・・
ギリシアの昔からも届けられたような、奥深く深沈とした神秘性と、凛呼としているほどまでに気高い倫理性の響きのある、よく知られた韻文の一下りです。
先生は全く信心深い純真な境地にいて揺るぎないのです。