再度カンニバリズムについて


カンニバリズムで引っ掛けられている人達がいるという。
この場合、単に言われたのではなく、その時、レポーターに目撃された、というところから始まっているのではないかと想像する。
これまた少なからぬ例である。
他の人達と同じで、印を付けられたみたいに連れ立たされて、登場活躍するべくあるようだ。


すでに古く沢内通りの民話に採集されていた。
このカンニバリズムは、密かにも、しつこく最後まで、このイギリス人の地下活動の仕込みモチーフとして繰り返されている。
大量難民時代ではあるが、大勢の人が、月夜の晩に目撃され数えられ、列に加えられたのである。
やった、やった、よかった、と内心ほくそえんでいた人達もいたはずである。
「いや、全員、やったの」と思っていいのかもしれない。
カンニバリズムでなくとも大概の場合、そういうことであったのかもしれない。
イギリス人の地下活動に前のめりの人達は大勢いたと思われる。
いろいろな思惑があって、すき好んで誘われたがっていたのである。
国の制度、背景から絶望的で、単純にイギリスの組織ばかりを人生の頼みとして仰いでいた人たちもいたであろう。


大体、見た、と言ったって見る人が誰でもなくて、見られたということになるのではない。
見た、と言って出る人は、最初からそう言って出る為に、月夜の晩に歩いていた人である。
そうして、例によってつかまえ所のある一群の人たちとして、運動に用立てるために、人攫いみたいに月明かりの明るい夜に、多くの人を釣り上げられるよう歩き回っていたのである。
そういうことは先回りして知れていたこともあろうと思われる。
内部からオルグするみたいに、やってみようか、と声がかかることもあったであろう。
大体用心する者なら、そういうことは月夜の晩にはするものでない。


カニ喰ってらの」というのは海辺での話であろうか。
カンニバルという英単語を遊びのように潜めて、カニが持ち出されたのであろう。
手、というのは、運動の初期的なモティーフであったようだ。
江戸時代後期浮世絵に、眼を見開いた役者が、妙に小ぶりな両の手を、指を全開して腹の辺りに掲げていたのがあった。
どうも怪しい絵である。
そして頻繁に引き合いに出される絵である。


カニ」のイメージからか、手はやがて無敵の武器としての想像が展開されていったようである。


今、ここ湯田沢内の辺りでも、この組織活動の介入は思いのほか早く、江戸時代にも遡るのではないかという疑いが生じてきた。