エピソードいろいろ


ただの盗み暮らしをしていたのではない。
こんなことならもっと楽な飯の喰い方がいくらでもある。
どうせ野にいる者なのだし。
「後に運命の人だぞ」と言われたから、欲を起こしたわけではないが腹をくくったのさ。
生真面目にも人生の就職をして、仕事をしてきたということだ。
道具も品物もすっかり預けられて、捌き方も教わった通りに。
技術を指導した先輩も目の前にいたが、また地下にも導きの音を届けたりするスタッフが離れたことがなかった。
見たこともない映画用撮影機まで出てきて、もし撮った物が本当なら、それはみな、映画撮影技術者達が撮影機と共に自分にのしかかるように、間近で注文したものなのである。
かえって自制心と忍耐心で、とうとう、最後まで辞めることはしなかった。
自分自身に高い評価などなかったから、一種意識的な放下の気持ちにあったといえる。
自律心と克己心なら、決して誰にも負けないものがあったのさ。


「出放題」する奴だと期待されていた。
井原西鶴みたいに、3秒にも一句づつ一晩中、「暗算」で吐き出し続けたらどうだ。
最後の見物にも人間離れしていて争う者のいない空前絶後ってことにならないか。
「のべつに」まくしたてて、人の眼を剥かせた若者であったのだろうが、なぜか海岸で難死したと思われる人の側に、ぼさぁっとした感じで目を逸らして立っていたという。
このエピソードが上の家に移されて、社会主義革命運動を装ってまでの難死事件が企まれたということであろう。
難視中ともいって、その時の主婦が見たことのない斜視であるのと何か関係があるのであろうか。
「のべつ」というと、別の意味で苛められる事もある。


謀略と疑心の多い時代に、川原の難死人遺体の注進に遅れてしまったということが、その後幾度かあったことを聞いている。


潜って来た人もいる。
甕を見せたり、くぐっていたりすると、イギリス人の組織がそういう人を大変に喜んで収容して下さるのである。
そういうことで運動のはずみとなり、励みとなり、はかどりよくなってどんどん発展していく。
だから、とにかく「出発進行」って、自らくぐって、皆で向かったものである、という話をずっと前に聞いたことがあった。
「あっ、ちょっと火を点けていました」「あっ、ちょっと手を出していました」と、あっ、あっと、夕暮れの塀の下で薪を盛り上げていたり、長々しい物を運び出そうとしていたり、と殊更証拠物件が物々しくてあからさまなパターンを選び、未遂のcaught -ing者として並んだのである。
そしてそういう類型の人が実に多いのである。
確かに、塀の下に薪を積むだけなら、物を盗むふりをするよりかえって楽な選択である。
あっ、と驚く、わざと装ったような田舎芝居を見たことがある。
そんな時、きちんとなりきらないで、ロンドンパリみたいにとぼけて立っているのではだめなのである。
きっと芸能界演技人にもそんな由来の方がおられると思う。
気を取り直して、自愛して頂きたい。


いずれ、軽微なことであったり、政治的思想的立場の問題のことでもあったろう。


人々が昔、侵入され、土地を失い職を失って食えなかった時代の話である。


「運命の人」の場合であれ、そういう事でイギリス人の組織が面白がって運動を進めるのであるから、やれっていうようなことをやって、つかませればはかが行く、というのが、本当の事情であり、とにかくそれに応じようとした、というのが正直な所の心底であったろうと思う。
なんだって、自分のような者を大運動のポイントだって言うのだ。
はかどらねねのさ。
任務に就く。