代官様不十分と注進に及んだ記事から


最初五戸に預りの身となった時にか、隠れてその地を離れて故郷に向かったため、また不届き行い定まらぬ者と、新たな預りの刑を受けることになったのである。
これだけの記事では、注進に及んだ代々の善右衛門の息子はプラプラとして軽はずみな者にとられてしまいそうである。
イギリス人もそうとったかもしれない。
実はこの時父親の善右衛門は90歳の年寄りで、その父親に会う為に故郷に向かったのであった。
しばらく離れていたら必ず見つかる振る舞いである。
本人も60歳になる、部落の代表者、一家の主の行動はもっと重い決断があったはずである。
亡くなる前に、その家の惣領として老父に一目会えればいい、という覚悟の脱出であったと思う。


現在の当主も見栄のかけらもない、質素な農業専門家で、先年五穀奉納で両陛下に拝謁してこられたようである。
飾り気のない質実な人とは実にこういう人のことをいうのである。
手が大きくて代々の器量をうかがわせている。
農業指導に各地に歩いているようで、中国にも行ったことがある。


その人の父親が中国で戦死していた。
この頃の中国でも、後の国の英雄となって名を残す人達を取り巻く地下活動が点々とあったはずである。
その戦死した父親の弟も第二次大戦に出征していて、ロシアで捕虜になっていた。
無事に帰って来て警察を辞めてから、兄の代わりに代々の農家を継いだのである。
非常に寡黙な人で、人当たり優しい人であった。
親族によく気を配った戦後の人生であつた。