ここで合間のこぼれ話でもしよう


東北大から来られた三条とかいう名の先生の話聞いたことがある。
非常にのどかでさらっとした人柄の方で、話を聞いていてほっとするような所があった。
何だか畑の世話をしていると健康にいいようだと、書物に拠らない体験的な話をしてくれたことがあった。
「ほうれん草は難しいもんだね、普通の大きさに育たなかった」
60年輩の人のような、力の抜けた懇切さに信頼感があった。


村上の家は何回も母子家庭に陥ったが、不思議と主婦は皆90前後まで長生きしている。
昔の農婦が、一旦成人した人間としては、現在の女性よりかえって長命であるというのは事実であるようだ。
乳幼児期の死亡率が、平均寿命の足を大きく引っ張っていたのであろう。
農婦が夫より栄養がいいということは決してない。
何が違うのであろう。
長時間の草取りである。
農家の子弟なら誰でも思い出すだろう。
母親がいつもどこか畑の一角で黙々と草取りにしゃがんでいるのを。
主婦の長生きによって、上の家の元文年代からの主婦の繋がりが確認できている。


画家が芸術家として非常に長生きなのにも、気が付いていたが、小難しく考えない直感的な仕事柄とそれに向く気質の問題かと考えていた。
それでも何かに生かされているみたいに極めて長命な例が多い。
異常現象といえる。
テレピン油がよかったのであろう。
松脂から精製した揮発性のある油であるというから、画家はしょっちゅう松の樹の精を吸って体に取り入れていたのである。


前に石油の話と塩湖の話をしたことがある。
塩湖で有名なのに、カスピ海とグレートソルトレークがある。
どちらも海から閉ざされた経歴を持っていると考えられる。
ところで、昔の海の底の跡として、石油以前のシェール層を南アメリカは一帯に背負っていると言えないだろうか。
アンデス山脈沿いにずうっと油田の可能性が並んでいるようである。
皆高嶺の麓であることと関わる加熱現象を経た跡といえよう。
中国内陸部の油田も相当古い堆積と変成現象の痕跡を発掘したものであろう。


最後に世界海底図を見て、一連の話を締めくくろう。
インド南端からアフリカ南端にまで及ぶような長い海嶺が,ベンガル湾の南から始まっている。
一直線のようだが、遠く運ばれた土砂の大きな円弧と見ていいようである。
隆起性でない限りすべて海嶺は運ばれた土砂と考えていいのではないかと思う。
大陸からの激流で流された跡は、日本の南西諸島とマリアナ海嶺の間にも見られる。
その屈曲の姿は、障害となる島々の並びをどのようにかわして激流が越えたか、その跡を見せていると思われる。
運ぶ土砂の量と激流のエネルギーとの兼ね合いで、大陸部斜めからの水の流れは、偶然北から南に直線的に土砂のスカブラを描くのかもしれない。
ノアの箱舟アララト山頂にやっと取り付く島を見出したと言うのは本当の事であったのだろう。