松尾芭蕉の名句について先生に教わったことがあった


夢という言葉は江戸の世には英語のDREAMという意味を含んでいなかった。
中国語でも同じである。


「夢は枯野をかけめぐる」 最後の望みにも、という意味でなく、はっきりと具体的に体験的に、夜見る夢の中で枯野を駆け巡っている、とかえって切なる、心境というのでない、有様を言っているのである。
「兵どもが夢の跡」 兵達の野望の跡とはならない。夢幻のように兵達の姿が偲ばれてまた夢幻のように空しい、と取るしかない。


わたしらの語感では、夜見る夢と言う以外に、夢にした、夢だった、と言うような、現実には不可能で存在していないもの、という意味が記憶の中で響き合っていることがある。
夢だった、というのは、悲願であったという意味ではない、人生、信長の夢幻の如し、という意味である。