イギリス人の地下活動に最後まで必要な虚像


   
青森の八甲田にも設備が据えられていて、生まれ替わり作戦が展開されているという情報があった。
しかし一地方ぐらいの範囲内で探し出される人材の用意ではない。


コピーアーなぞ、ずいぶん小さな者を目当てにいう人がいるが、あまりに大胆大規模な作戦で、全然バランスがとれていない。
いくらかお相手がいるにしても、そんなにしてまでやることだろうか。
犯人は、過激で大胆なからかいが、まんまと人の世の舞台に通ったことが面白いだけなのである。
いずれにしても、人を殺める作戦など引き受けるものではない。
そんなにしてまで人の世話を焼くものであろうか。


最終的には思いっきり悪びれて、世界市民につまみ出される始末しか考えにないのではないだろうか。
人間の頭にあるものとしては他にないと思う。
そんな作戦は無駄にも残忍なことで、決して乗れるものではない。       


コピーアーが世界支配などという傲慢な立場への準備にあったことは一度たりともない。
質素な独り者の生活があるだけで、社会に出て偉くなれるような境遇ではない。
人生の経験も世間もない実際の姿である。
だから、実体などなくとも、虚像として盛大な悪戯に必要だから言うのである。