千利休があんど運動の御子であることの疑い


千利休の茶室のデザインに、日本国史には前になく後に長く出ることのない、明快な、思い切った、幾何学的西洋的な鮮やかさを感じる。
たった一人、まるっきり異色な闊達さである。
見たこともないような、レンズの覗き窓みたいな丸い棚に、利休の像が置かれている。
あるいは、外の物の影を写している障子紙の丸窓。
茶室は他でもない、暗箱そのままの模型でもあったのである。
地下の穴のような、土塗りそのままの壁。
坑道の支え木みたいに、わざと素朴な、曲がった床の間柱。
小さなにじり口から出入りして地中から世の中を覗いていたそのままを、地上に現したものと、今一段とはっきりと見えてくる。
このようなあからさまな現出を果たした実験例は、よその国ではなかったであろう。
いずれにしろ、運動は随分古い由来を秘めているようである。