だから存在に元始というものはない


人間的に年齢、成熟、老衰、というもののない、私達が現実に暮らしている宇宙世界。
だから常に、宇宙レベルで話しをする時、始まりに、という設定を置くことはできない。
宇宙に原始というものはなく、基礎的な、しかし理論仮想的でない、現実の、電気力重力の働かない無前提界というものがあって、遠くの星の中にも、私達の体の中にもあって、現在進行的に世の中の一切を成り立たせている。
私達に理解しえる、その唯一の法則は同調性である。
だから基本的に宇宙はなまくら四つでありえない。
他の所ではすべて有効な、超対称性へのなぜ、という質問立ては、存在の一元性即同調性の原理においては、科学探求的に得る事はない。
基礎的な条件が覗き見えるところでは当然に現象は付和雷同的追随的であって、そうでない所のそうでない原因こそ究められるべきものなのである。
宇宙は余す所なく、右手か左手かどちらかであるが、まさか、質量と時間の向きについてまで、どっちだったかというのではない。
存在はすでに根底的に、ネジの回転方向に、難しくもなく決まっているのである。


人間というものも、浮遊している原子団や昆虫の団体性のように、無自覚にも共感に向かい応じる姿勢にあるもののようである。