有名人の先祖 西洋人の部


いちいち根拠を記さないが、多くはインターネットにある関連記事の諸先生方のご報告を略記させていただいたものである。


ゲーテ。ふどう酒取引と旅館経営で成功を収めた商人。 
ゲーテの子孫の例。バーティ・ホプキンズ。 アメリカのシンガー。本妻筋ではないという。
ゲーテはあまりに女性との関わりが忙しく、57歳まで結婚していなかったという。その時息子は17歳になっていた。在独生活をしておられる方のインターネット記事によれば、私生児が300人以上いたという。ワイマールの人は多くゲーテの子孫を名乗っているらしい。ホプキンズと同じくたどり得る確かな根拠があってのものと思う。
ユングも祖父がゲーテの子であると主張していたというが、これはなぜか自己弁護的妄想虚言であるとして否定されている。
シェークスピア。半農半商の町の有力者の家庭に生まれる。没落したためか高等教育の記録なし。ロンドンを出たのは、郷土の豪族ルーシー家のシカを盗んだのが発覚したためである、と百科事典に根拠がないこと共に紹介されている。
ディケンズ。父海軍の会計吏。濫費破産。父母債務者監獄入り。一人、親戚経営の靴墨工場に行く。父母は遺産が入って出獄できたという。
コナンドイル。祖父ダブリン生まれ、リトグラファー。父エディンバラ生まれ、小役人、アマチュア妖精画家、乱酒の末精神病院に入院。医学生のドイルが、船医見習いとして船に乗り、一家を支えた。母は借りている家の一部を又貸ししたりして、貧しい家計を切り盛りし、ドイル兄弟姉妹を育てたという。
ニュートン。自作農。父が亡くなり、母も去り、祖母に育てられる。
バッハ。バッハ自身が書いた家系図があって、それを孫娘が書き写した物が残っているという。4代前がパン屋で、水車小屋で粉をひきながらツィターを爪弾いていたという。ハンガリーからドイツの郷里に戻ってきた経歴がある。バッハというのは西洋共通の職業由縁名で、水車の粉ひきを指しているものと解釈していいかと思われる。
バッハの子孫。バッハ先祖大一族としては2世紀半の間に60人の音楽家が出ている。バッハの最初の妻は遠戚のマリア・バルバラ・バッハ。7人の子供。次の妻は宮廷歌手アンナ・マグダレーナ・ヴュルケン。13人の子供。内成人した子供6人。その後の子孫が少なかったらしく、1960年に故郷アイゼナハに生存していることが確認された、という記事がインターネットのバッハ研究者のページに載っている。
ベートーベン。姓の由来はオランダ語で、蕪畑の、という意味である。魔女狩りに遭った先祖がいたという。
モーツァルト。父レオポルトモーツァルトは製本職人の子。
シューベルトモラビア人農夫の息子である父は教区の教師。母はウィーン人家族のコックであったという。
ヴィヴァルディ。父は理髪師兼サンマルコ寺院のヴァイオリン奏者。遡ると遠く貴族に至るらしい、というヴィヴァルデイ研究家のインターネット記事があった。僧職の身でありながら常に兄弟姉妹と暮らしているというので、法皇様に譴責を食らったことがある。妻子を持つということはあり得なかった。
ヴィトゲンシュタインオーストリアの鉄鋼業を起こした、ユダヤ系家庭。日本の三菱みたいな国の大立者で有名文化人が出入りしていたらしい。本人は妻帯したことはない。
アメリカ人の移住前の出自については情報が乏しいようだが、
ベンジャミン・フランクリンについて、たまたまウィキペディアに載っている。父は英国人で農業兼鍛冶屋。すでに英国にいた時に最初の妻を得て多くの子供を儲けており、移住後にその妻が亡くなり、二番目の妻との多くの子供の最後の一人がベンジャミンであった。直近のことであることにより記載されていたのであろう。
アメリカ二代大統領、ジョン・アダムス。英国からの移民四代目の父は農夫であった。
同三代大統領、ジェファソン。娘の召使黒人奴隷に子供を産ませていた事が判明したという。相当に多くの子孫がいるらしい。初代大統領ワシントンの子孫である事を主張している人達もいる。ワシントンには実子はいないことになっている。
リンカーン。父親は無学で転々とした農夫。リンカーン自らは法律に出会い弁護士になるまで多くの経験を重ね、レスリングの賞金試合にも何回か出ているようだ。子孫はないようだが、トム・ハンクスリンカーンの母の子孫になるという。
ケネディアイルランド出身。
ジャクリーン。父がフランス系移民の名門。古く、17世紀に移住してきたオランダ系アフリカ人商人に繋がっているという。母系はアイルランド人。
ブッシュ。曽祖父の父が製鉄会社の経営者。母系側を辿ると、この間の対立候補者ケリーと同じく英国王室につながっているという。
さて、英国の貴族の生い立ちについていくつか例を上げてみよう。
かのチャーチル。最初にジョン・チャーチルは郷神の子であった。郷神とは農村社会の階層で、貴族と自営農民ヨーマンの間。形式的には紋章の権利で後者と別けられていたという。16歳でヨーク公配下の軍人となる。ロード、男爵、名誉革命時の功績により伯爵、アン女王の下ガーター勲爵士としてイギリス軍総司令官となり、公爵。最後には軍資金数万ポンドの横領によって、最高司令官の座を失う。
ウィンストン・チャーチル。上記マールバラ公家からの分かれ。騎兵隊の少尉より人生を始める。母はアメリカニューヨーク、ジェローム家出身。
ダイアナ。欧州有数の羊商として財を成した先祖が、チャールズ1世から伯爵位を受ける。婚姻によって王家の血筋も受けている。このスペンサー伯爵家は上記ジョン・チャーチルの婿養子を出した家筋でもある。
ラッセル。ジョン・ラッセルの子ジェームズ・ラッセルの子がジョン・ラッセル。貿易商。ラッセル男爵後初代ベドフォード伯から、後世、公、ラッセル卿の称号を得て、更にラッセル伯、子爵となった家柄からバートランド・ラッセル
プーシキン。地主貴族。母親の祖父はピョートル大帝に寵愛されたエチオピア人奴隷。
デュマ。軍人の子。祖母が黒人奴隷。
ナポレオン。イタリア、ロンバルディアから渡島した古い地主。父がコルシカ独立闘争において、副官の立場でフランス側に転向し、貴族の資格を得る。
ショパン。母はポーランドの貴族の末裔であるが、父はフランス人。
カント。皮革業の親方の三男。先祖はイギリスから渡来。ヘブライ語を学んでから、親に付けられたエマニュエルという名を、自分でイマニュエルに変えたという。