父健一が戦友の子孫であったということから
顕著に律儀勤勉な性格の人たちが並んでいる。
島津公が現地でその特長に眼を止められ、多忙中にも、強いて伴わせられたものと思われるほどである。
ところでコピー係りが日本人の中でも取り分けて、韓国人朝鮮人であるということはない。
こういう運動を頼んでいるのでもない。
もともと百何十年と、「ああいうもの」はないものとして、地下違法活動に連れ立たれてきた、というのが運動関係者達の常識実態であった。
「だりゃ、あれで」とよく言ったものである。
話に取り上げるだけでも大笑いであった。
ァッたな者、ケネ者というのが出身地の方言による通り相場であった。
東京に行くと、棚者、けな、腕者などと評価がとぼけられて通っていた世界があったようだ。
大挙したって、側に大勢いる中の何人かが、つまらない独り者の私生活に付かせられていられるかどうかの、関わりぐらいしかない。
そんな大騒動にふさわしい一等賞の社会生活など、自ら願ってもいないのである。
地下活動の犯罪性を暴くにおいて、トップインテリジェンスとはいえる。
人の世に無法に数を占めることなど全く無用である。
「本人の気持ちも生活も、こんな大それた活動に全然そぐわないたって、やるのだ、イギリスは。」
気持ちを表明し届けても、ないが如く、無視してまで、やるのだろうか。