芥川龍之介と健一


どうも、芥川龍之介と健一が似通って見えてきたものである。
小泉総理が三島由紀夫と似通って見えてくるように。


石投げの十手にちなんでか、石っこケンなどと母に呼ばれていたというが、洋館のような住まいに暮らしていたというのは、健一が子供の頃のことであったろうか。
しかし、健一は、母を撲殺されるという、目に遭った人だという。
岳部落を紹介され、はるばるとみちのくに来てから、地域の人に白眼視され警察を呼ばれた時には、「しまった」とつぶやいたらしい。
頼まれたつもりでいたのであろうが。
生真面目なだけ、もう気持ちは横になっていたと思われる。
健一は、ぺしゃんことゲンコを喰らい、更に思いっきり顎を突き上げられるという、ダブルパンチに見舞われた人だという、一度きりのレポートがあったが、分からなかった。
日曜大工で、老いてから取り掛かった車庫ばかりでなく、子供たちのために作った素朴な本棚もいくつか残っている。
子供心に作り方の見覚えがあったのであろう、人にも教わらず、釘を使わない丈夫なはしごを製作して、今も便利に役立っている。


かつて敗戦地において、最後に入水の途を選び、次々と戦友が飛び降りる中、敵軍に取り囲まれてしまった人達。
その共通の特長である堅気さを思えば、決して臆病で逃げたのでもなく、ずるく身売りしたのでもなかったことは確信できる。
「しまった」と、わが身の不運を人並み以上に悔い、恥じたであろう。
自分を責める念の強い人達である。「しまった、しまった」と。
その為に、壊滅の城を去って再び故郷の地に帰る事に耐え得ず、更には心の苛めとなっている、もはや対象のない忠義心の枠をも逸脱してしまい、生まれ変わりの青い空に眼を転じたのではなかろうか。
再び城門より入るを得ず、というシーンを繰り返し見せられることがある。


正義、まさよし、定義、義一という、今に及ぶ律儀な命名が示しているように、かえって、とぼけて帰郷することを潔しとしない、珍しい忠義心の塊のような人たちであったと、言い切れるようだ。