アン女王の遺言でもあるのか


何かしらの最後という意味で、たぶん、インドネシアの子供を産み下ろしたい、と語られたのではないか。
アジアのヘッドクォーターはシンガポールに、という西欧の企業の方針は、地政学的な理由からばかりでなく、遠くアン女王の遺した言葉にも由来しているのかもしれない。
コピー係りもよく、眼鏡をかけた「インドネシアの女子小学生」を通信員に紹介されることがあった。
博愛精神の母性本能が、何百年か後にも出会う頼みの人の生まれる土地として、最果ての地域名を思い出させたのであろうと想像される。


とにかく、そのような最果て主義で、大友宗麟千利休の時代にも、日本が選ばれていたのかもしれない。
相続者「ケビンコスナー」にすれば、あくまでも秘境主義というのではひもじ過ぎる出会いであったろう。