ダンスとタンス


江戸時代から、泥棒を追っかけて橋を渡らせなかったという山平の家の武蔵が、自ら縛られたように第一子を妻と他所の者との子にされたという伝説があるが、その時ダンスでなくタンスを置いてもらう事にしたというのであった。
その為に他の家のように、延々と伸び上がらず、タンスを置いているだけの家になったのかもしれない。
古文書に拠れば、貯蔵倉のある家、ストック家であったから、ちょっとした言葉のからかいであったのかもしれない。
健一陽子も一生涯が、物を投げない、物を後のために貯め置く毎日の生活努力であった。


武蔵は大正年度中に社会主義革命運動と出会わされた気がして、侵入者を捕縛している。
何軒した、と侵入者の犯行の確信が高かったようである。
子供が木に登ったのも、近くに住み着いていた人達の由来に、使用人が崖を滑り落ちて木に引っ掛かっているのをどうしようもできないでいた事件があったことによる。
すなわち、木の枝に登って降りられないでいるという報告は、木に引っ掛かっているのを見て、あれどうする、と片付けられないでいたという先行の現場の様子を下敷きにしたものであろうと思われる。
崖落下事件の類は他にもあったようだという噂があった。