近隣の働き者のおかあさんは

やはり同じ菅原さんの家に嫁になっていたおかあさんの妹さんであるということで、紹介された方であるという。
隣家の菅原さんは、早くから地域の運動の係りを頼まれていた家のようである。
紹介された嫁さんの方は、加賀まり子さんとそっくりである。
似たような方を和賀町の農家でも見かけたことがある。
月山という山に連れて行くというので、博物館の方たちが集まりを作ってくれた事があった。
誰も行く山ではなかった。
立派な標木が入り口に立っていたが、一人入っていったら必ず迷う山であった。
死者の霊が月に行く前に住する山であるという。
正式に羽山、羽黒山と三山そろった内の一つ。湯殿山は江戸時代の都合で用意した山。ちゃんと対称的な位置に昔の端山が位置している。
私の真ん前を歩いていた方が、その和賀町のお嫁さんであった。
明治の代にも、日本の歌謡曲の原作者となるような芸を披露して、わざわざみちのく湯田にまで連れられた人がいたという。
一団で来て、そのまま湯田町近辺に住み着いたようである。
あぁこのように、あのタケさんと加賀まり子さんグループは、長い旅路の山野を歩いていたんだな、と思い起こされたものである。
実は地域発の関係者がいる芸能人が勢ぞろいしている、日本国の芸能界でもあることがあるらしい。
もしかして当の加賀まり子さん自身も、いくらか地域に関係のある人なのではないだろうか。
そうすればそっくりさんというのでなく、近くの家のおかあさんも和賀町のおかあさんも、あの加賀まり子さんと、一筋実縁のある方たちなのではないか。
無用なせんさくでもあろうか、害のないことと思い、無闇に記し置く。
どうも母の実家近くに住まわれていた人達のようである。
他に、代議士の娘さんで作家の方がおられたが、やはりいくらか似ているようにも見受けられた。
母の実家の隣の家は小原さんであるが、近くなので血縁関係があったのであろう、丸顔の娘さんがおられたのを記憶している。
きつと小原氏のように古い由緒にも繋がる家系であるので、その方位に配されたのであろう。
タケさんの出身地域は武官か王家かの由縁を引いている所だと聞いたことがあったが、そのことなのかもしれない。
イギリス人組織はこういうことが好きで、人知れず繰り返し、古文書による人の世の回し方を指示しているものである。