すべて200年も前に企んだことであった

と思えてくる。
日本は未だ国力の弱小な、エキゾチシズムの、西洋列国の占領をかろうじて免れることの出来た、東端の未開国に過ぎなかった。
日本が西洋一国の支配を免れたのは、東端に位置して、国軍の手を伸ばしてアジア未開国を奪い合う帝国主義の末期には、仏英露米国が入り乱れていたことによるものと思われる。
米国からの等距離的な介入が大きかったかもしれない。
朝鮮半島は、日本軍の存在があるいは、露軍の南下を抑えていたのかもしれない。
中国は大国領土の一部を結局、強盗のような西洋の国に譲らなければいけなかった。


地下組織はよく、宗教を利用して、宗教戦争を演出しようとする。
今の、イスラム原理主義、イラン、アフガニスタンアルカイダ、国連ビル、イラク、そして更なるイスラエル・アラブ闘争。
太平天国の乱。1851-1864
東学。1860年ごろ-1894  この時に土葬中問答と多人数の捕縛収監が企まれたものと想像する。
日本にも多くの新興宗教団体が立ったが、これまでの最大の団体は、今古くからの宗派の僧侶と決別して、紙上で宗論を戦わせている。正式な僧侶のいない葬式。
企画された全国的な宗教一揆動乱によって、用意された大量の浮浪者。
日本各地の海岸への大輸送。
日本語学院での日本語の教授。衣食住のそれまでの供給と以後の保証。
膨大資金投入の無比の大重量計画であった。
何のために、そんなに手間のかかる、負担の多い、犠牲の大きい、日本全国土地下網計画を立て、断行したのであろうか。
現地側には何の事由もいわれもないことであった。
すべて現在に見る民族の返報のためではないか。
更に何のために。
何のためということもない、ただ日本国が最終の地であることによって、200年も前から江戸時代の頃から、今の返礼が果たされるまでの大まかなシナリオが書かれていたのであろうと推測される。
日本の天皇位さえ飲み込んでしまうような高波で、日本国に取り掛かったことが知られるのである。
でなければなぜ、他の国にないような、大変な山越えの異民族移入が、日本国土の隅々にまで、明治年中にも一所懸命に行われたのか。
なぜわざわざ他民族でなければいけなかったのか。
他に何の理由もない。イギリス人の最終地大演出計画があっただけである。
見事に民族の王室に入り、民族の統治権を握る。
太平洋戦争の終了、日本国民はその時に、一切の土地不動産を返却し、地を掃うようにして半島から消える。
しかし、この期に及んで増殖炉計画が成立して、設備が設置された。
全設備で一斉に、そっくり同じような、民族的地下運動員の退散作戦が指示される。
それが今、手のひらを返したように、民族に逆らった者が残らず処罰されようとしている。
これが、200年前からの、イギリス地下組織幹部の目ろむ所であったのである。
イギリス人の計画から裏切りがあって、民族の逆襲団とイギリス人の指導が一緒になって、今までイギリス人組織を頼りにして働いてきた日本人をだまし落とすのだから、たいへんである。
明治以来の「越し方の人達」もお里心がついてしまうような状況である。


200年前の江戸の世の南部の地、村上の家にいた者に特に民族のいわれがあるはずもなく、かえって他家より地下組織のことには無知なままであったが、今その位置近辺の地下室が、あまりに、200年計画の闇討ち応酬作戦に利用されている。
その激浪に比して、(他の人ほどにも)育て盛り上げる、という意味はあまりに薄い。
もともと前の人達で、十分にネットされていた日本国であった。


イギリス人の200年の民族あらくれ計画の骨格が見える。


戦後以来、国家をおびき寄せようとして何度も仕掛けてきた経歴があるようだ。
根の国引き神話そっくりではないか。
国旗もその伝で作られた疑いがある。
日本国民側にも、わざわざ、どうせなら国家を引こうとがんばった人達がいたという。
別府に基地を与えられていたというが、あまり忙しくてお相手の続きはできなかったらしい。
その後、いくらか余裕が出来てからか、九州沿岸等から上がるようになったのだという。
秋田新潟函館唐津広島高地などが集住地であるという。
日本人だまし喰いの応援ばかりでなく、企業商業的にも大盤振る舞い待遇をして、あれやこれやと、もはや最後と無茶にも大現象を起こそうとしているだけである、というのが本当ではなかろうか。