昭和天皇陛下と三島由紀夫の背丈


故人の事を礼儀もなく思い出させていただき、いろいろと考え合わせる事の証左とする厚かましさにお許しのある事を。


天皇陛下のお姿を思い出し、いかに日本国が、早々と広く、洩れることのない味噌漬けの国となっていたのかを思う。
小泉総理のお顔をテレビで拝見するごとに、亡くなった三島由紀夫の面影が浮かぶのであるが、三島氏もきっちりと三食味噌汁付きの和食の生活をして育てられてきた人であることが知れる。
昭和天皇もそうであったろう。
そういえば、三島氏の先祖は瀬戸内海で、魚介の塩漬け業を営んでいたらしい。
発育のいい人は、塩攻め日本国内に、何かのルートがあってその被害をかわしてきた人達なのであろう。
山平の家の者も、昔は背が高かったが、他家と並んで情報に速かった家とは思われない。
そういえば、田んぼが割と少なく(といっても一町歩はあったという)、常に栗と芋を焼いて食べていた家であった事を思い出した。
確かに、米食でなければ、味噌は無用である。
このように味噌食の害がなければ、日本人は自然に、特別に栄養がなくても背は伸びていたはずである。
ずっと背を縮められてきた日本国と断定できるようだ。


戦後栄養が善くなって、簡単に発育を抑えられない国の状態となっているようだが、コピー係りの家のように病気続きで貧しいと、どうしても味噌汁が絶対に欠かすことの出来ない主要なおかずとなる。
主婦としても何の手もなく味噌汁に頼ってしまうことになる。
農家であるから、おかずを買う一銭の金さえなくとも、味噌がある限り、何とか畑のもので三度の食事が間に合わされてきたのである。
まだ育ちの良かった弟でさえ、父の背丈を越えることはなかった。
天皇陛下さえ出し抜いて、発育のいい者がいた日本国であったということである。


発育のいい人の多い、コピー係りが住む近くの市に来て、三島氏が不躾に自分の身長を聞かれて、167センチである、と答えたそうである。
そうしたら、嘘をつけ、もっと低いはずだ、嘘をつくものだなぁ、と後をぼっかけんばかりに、それ見ろ小者、と首でも取ったような談話を記者に吐いていた人がいた。
ちなみに、コピー係りは当たり前に163センチである。